2015年はAppleからiPad Proが発表され、MicrosoftからSurface Bookが発表、そして発売されました。
これらの製品の発表は、2社の今後の成長を決定づけるほどのものに見えました。
あちこちの記事でもよく言われるようになったのが、「最近のAppleはなにかおかしい」ということです。
逆にウォズニアックが言うように最近のMicrosoftはいい意味で我が道を突き進んでいる感じがあります。
この点について、個人的に思っていることを交えて深く掘り下げてみようと思います。
ここ最近のApple製品への不満が募ってきたのでバッサバッサ切っていきますが、特にApple製品を愛用している人には気分が良くないかもしれません。
あらかじめ謝っておきます。m(_ _)m
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市場から生まれた「iPhone」
ここ数年のApple製品はどんどんラインナップが増殖しています。僕が最初に驚いたのは、iPhone6で2種類の画面サイズが同時に(しかも4インチより大きいものが2つ)登場したことです。
発表の何ヶ月か前から大きい画面サイズのiPhoneが2つ発表される、という噂が流れていましたが、僕は「Appleに限ってそれはないだろう」と気にも留めませんでした。出すとしても4インチともう1つの画面サイズに留まるだろうと。
開発者視点で言えば、新しい画面サイズが出るとアプリ開発者の負担がどっと増えるし、画面サイズごとに(普通は)それに適したGUIを再構築する必要が出てくるからです(要するにただ引き伸ばせばいい、で済む話ではないということです)。
なによりも、ユーザーの操作感を大切にするAppleがそんなおもむろにいくつものサイズのiPhoneを出すとは思えませんでした。
しかし噂は本当だったのです。
サイズ展開そのものはいいとして、どうして2つの画面サイズを新たに出す必要があったんだろうと。それが気になってWWDCの発表に耳を傾けていましたが、
残念ながらティム・クックもフィル・シラーも「なぜそうしたのか」について語ることはありませんでした。
僕の聞き取りの悪さもあるかもしれませんが、それを差し引いても説明が不十分すぎると感じました。
iPhoneの大型化はユーザーの操作感からアプリ開発者の負担、アプリのラインナップなどあらゆるところに大きな影響を及ぼすため、それなりの大きな理由がなくてはならないと個人的に思います。
この発表のとき、「あーあ…」と思ってしまいました。
ジョブズはそんな雑なことはしていなかったと感じます。iPhone発表時のスタイラスのことについても、iPhoneが3.5インチである理由についても、iPadの9.7インチの画面サイズについても、「なぜそうでないといけないのか」を丁寧に説明するのがジョブズの常だったはずです。
カラバリについても、以前は白と黒の2色展開を貫いていましたが、次第に増えていっています。
市場から生まれた「Apple Watch」
個人的に、Apple Watchは現在のiPodと同じくらい関心が薄い製品です(iPodそのものの劣勢というよりは個人的な関心の薄さです)。
4年前にiPod nanoを腕時計として使っていた時期があり、
その経験から、スマートウォッチの普及には「バッテリー持続時間」と「ディスプレイ常時表示」の2つの問題をなんらかの形で解消する必要があるように感じました。
“サッといつでも時刻・情報を確認できる”という腕時計の基本を確保した上での、スマホ・タブレットの機能拡張・健康補助ツールというスタンスが、スマートウォッチというカテゴリでは重要ではないかと考えたからです。
スマホは電話や手軽にポケットから取り出して使える情報端末として重要だし、ノートパソコンはより高度な作業をするために重要な存在なため、充電の手間という代償は喜んで払えます。
でもスマートウォッチはどうでしょう。ユーザーはすでにスマホとノートパソコンを持っており、そこにもう一つ充電が必要な機器を(自分の生活に)取り入れるには、充電の手間を差し引いて余りあるほどのメリットが必要ではないでしょうか。
そして腕時計がいたポジションに居座る以上、腕時計としての最低限の役割は必要ではないかと僕は思います。
時計云々を抜きにしても、手首に装着することの最大のメリットはどんな作業をしていても好きな時に情報をチラ見できることにあるような気がしています。それが不可能で、もう片方の手をウォッチのディスプレイを表示させるためだけに使わせられるならどうなるでしょう。
片手で本体を持ち、もう片方の手でそれを操作するというスマホのスタイルと何ら変わりがないのでは?
iWatchの噂が流れていた当初から、Appleがスマートウォッチに参入するならこの2点になんらかの答えを示してくれるだろうと期待していました。
しかし現実は、Apple Watchの発表でまたしても幻滅してしまいました。
独自のOSやアプリのストア環境、iPhoneとの連携や振動・通知システムや豊富なデザインなどなど、確かに他のスマートウォッチより優れている部分は多いかもしれません。
けど肝心のバッテリー問題とディスプレイ常時表示には何か解決策があるように見えませんでした。
この2点が解決されていない時点で、僕にとってのApple Watchは、iPodの腕時計化と大して変わりがなく、ただ本体がiPodから小さいiPhoneに変わっただけでしかありません。
例えば愛用しているbelkinのiPadキーボードは1度の充電でバッテリーが1年も持ち、1年前に購入してから1度だけ試しに充電したことがありますが、現在のバッテリー残量はまだ70%もあります。
Huaweiの型落ちスマートバンドは普通に使っても週に一回程度の充電で済みますし、15分の充電で半分ほどの充電ができ、Bluetoothを切れば倍くらいは長く使えます。
Apple Watchを実際に使ったことがないのにあれこれ言うのはただの偏見かもしれませんが、
スマホと違ってアクセサリ要素の強いスマートウォッチなら、これくらいの充電に対する負担の少なさは必要なのではないでしょうか。
GALAXY Gear路線でいくとしても、例えば「MacBookの代わりにiPad, iPhoneの代わりにApple Watchでもっと身軽になれますよ」みたいな(かつてのiPodのような)新しいスタイルの提案は必要だったでしょう。
スマートウォッチのおかげでタブレットで通話ができるようになるなら素晴らしいと思います。
(実際のApple WatchはiPadと連携できません)
アクセサリの範疇から無理に抜け出したスマホのクローンとしてのスマートウォッチは、手首のアイテムにしては重々しすぎると思わずにはいられません(少なくともバッテリー技術が飛躍的に進歩しない間は)。
市場から生まれた「iPad Pro」
最後はiPad Proです。
iPad Proは現行のラップトップPCの性能を凌ぐとフィル・シラーか誰かが言っていましたが、そこにはなにか違和感を感じました。
それ以前にまず、iOSのGUIがまだ13インチレベルのスクリーンに追いついていません。
というのも、スクリーンサイズが大きくなるにつれGUIも高度化し、それに比例して作業効率もアップしていくものだからです。
ComputerのGUIを6,7インチに収めると窮屈だし、TabletのGUIを12,13インチに収めても画面を有効活用しきれません。
いくらSplit Viewのような2つのアプリの同時表示を実現したからといって、iOSはまだ”Computer”のGUIまで踏み込めていないのです。
それにもかかわらずiPad Proは13インチというComputerレベルのスクリーンサイズを持ってしまいました。
だから「iOSのGUIがまだ13インチレベルのスクリーンに追いついていない」のです。
※その点をWindows10では、キーボードの着脱を感知してタブレットモード・デスクトップモードの切り替えバーを表示させることで解決していますよね。
それにタブレットに外付けキーボードを付けて使う場合、画面の上側だいたい3分の2はタッチするのがだるいです。ゴリラ腕と言われたりしますが、頻繁に腕を上げないといけないのはなかなか苦痛で、13インチスクリーンならなおさらだと思います(ちなみにiPad向けに作ったカスタムキーボードで画面の下側にパーツを集約させているのはそれも考慮した仕様です)。
iPad Proを世に出すなら、そういった問題をiOS側で解決した上で発売するべきでしょう。
開発者視点で言えば、ただでさえiOS9でSplit Viewなどへの対応もあるのに、13インチレベルの広大なスクリーンまで出されたら開発者の負担も増えるばかりです。
そういったリスクがあるわりに、iPad Proはあまり世の中に歓迎されていない製品になっているのはどうかと思いますね。
こちらの記事 によると、iPhone6sとiPad Proの画面サイズ比は、iPhone3GSと初代iPadの画面サイズ比とまったく同じ2.7倍だそうです。
もしこれが本当なら、決め方が機械的・短絡的すぎではないでしょうか?
ジョブズがiPadの画面サイズについて
「9.7インチ「iPad」よりも小さなタブレットは使い心地が悪く、ユーザーは自身の指を一部削り落とす必要がでてくるだろう」
と、普遍的な人の指のサイズから逆算しているのとは真逆です。
中途半端にMacBookサイズのiPadを出し、iOSが未熟なまま物理キーボードを用意して、AppleはiPad Proでいったい何がしたいのかわかりません。
家電量販店で初めてiPad Proを触ったとき、誰かがネタで作っただだっ広いiPadのように見えて思わず笑ってしまいました。それくらい違和感の強い製品だと感じています。
いくらジョナサン・アイブのような優れたデザイナーがデザインしたとしても
市場の流れに乗っただけの製品はどこか醜いです。
Back to the Macに期待していたこと
2010年の10月、11インチのMacBook Airが発表されたイベントでジョブズは”Back to the Mac”という今後のMacの方向性を掲げた(iOSっぽくなったOS X Lionが発表されたのもこの時)。
その後、Macはタッチスクリーンを搭載すべきという記事を3年前に書いたとき、僕はOS XとiOSの進化を大いに期待し、かなり楽しみにしていたのを覚えている。
Back to the Macというテーマのもと、OS XはiOSのようにどんどんシンプルで軽く、使いやすくなり、
iPadはモバイル性を維持したままMacのようにあらゆる作業を効率的にできるようになり、
やがて2つのOSは統合され(またはiPadがiOSとOS Xを上手くまとめ上げ)、App StoreとMac App Storeは1つになり、iPadはMacBookの領域も飲み込んでいくだろうと想像していた。
ハードウェアとしてのiPadと優れたOS Xが融合したらどんなに快適だろうとワクワクしていた時が懐かしい。
残念ながらそれを実現してくれるのはAppleではなく、Microsoftだったみたいだ。
Back to the Macが掲げられてから今年で6年になるが、どうだろう。iPadとMacBookの進化は(広い意味で)行き詰まりかけてはいないだろうか。
MacBookはより薄く軽くなり、iPadもより薄く軽くはなった。
iOSとOS XもiCloudの導入で同じアプリ同士シームレスに連携するようになった。
でもそれだけだ。
MacBookはクラムシェル型としての完成形に到達しているし、iPad Airもコンテンツ消費の1枚板としては完成形にほとんど到達している。その延長線上には何か革新的なものが待ち受けているんだろうか。
個人的に思うのは、11インチ以上はMacが担当し、iPadは10インチ未満を維持したままiOSをもっと熟成させ、
MacBookよりもコンパクトでフレキシブルな生産ツールという立ち位置を確立すべきだったのではないかということ。
そしてMacBookはあくまでデスクに置くことを想定した生産ツール、という棲みわけだ。
その上でiOSとOS Xを統合させれば、ユーザー側としても開発者側としても大きく強力な一体感を生み出せたのではないかと思う。
2010年のイベントを見るとわかるが、
すでに初代iPadの時点で、ジョブズはMacBookとiPadの関係性に可能性を見出していた。
Back to the Macには夢を見させてもらったし、
昨年発表された12インチMacBookのiOS寄りのミニマルなコンセプトは好みだが、MacBook(OS X)とiPad(iOS)の今後のお互いの立ち位置には一抹の不安があるのも正直なところだ。
続きはこちら。
【後編】MicrosoftのApple逆転がハッキリした2015年
是非、Appleで仕事して下さい。