前編からの続きです。
style="display:inline-block;width:336px;height:280px"
data-ad-client="ca-pub-3481943934845626"
data-ad-slot="8806407289">
なぜここまでApple製品が魅力的でなくなってきたか
最近のApple製品はデザインが美しいかどうかではなく、発表されたときや実際に製品を見たり触ったりしたときにあるはずのワクワク感やピンと来るものがなくなってきています。
iPod mini時代の元Apple日本法人代表の前刀禎明さんは、商品やサービスの良さを訴求する2つの方法として、
「機能訴求」と「感性訴求」を上げています。
機能訴求は、効果などを理屈で説明し、「きれいになる、汚れが落ちる、便利、お買い得」といったもの。
感性訴求は心地よさを感情に訴えるもので、「楽しい、かわいい、テンションが上がる」といったものです。
前述した「ワクワク感」や「ピンと来るもの」はまさに感性訴求で、いまのApple製品は感性に訴えることがなく、
ユーザーの心を揺さぶるような製品が出てこなくなっています。
じゃあなぜこんなことになってしまったんでしょう。
それはやはりものづくりに情熱を注ぐ人物(=ジョブズ)がいなくなってしまったことに尽きるのではないでしょうか。
前刀さんはこうも言っています。
ものを作っていくとき、作り手の魂が自信となっているのであれば、たった1つの製品でこと足ります。
ところが、作り手に自信がないと、「お客様の多様なニーズにお応えする」という目標のもとに、とりあえず品数を揃えようとします。
(中略)「多様なニーズに応える」ことは価値でも何でもないことです。ちょっとした機能の差。色の違い。しかし、ユーザーがそこに価値を感じていないのは明らかです。
このときの前刀さんは日本のテレビやスマホについて語っていますが、いまのAppleもまさにこの状態に陥っていると思います。
iPad Air2/mini3のイベントのときは、iPad mini全世代が継続販売と発表されて本当に驚きました。
この人ら正気かと。笑
そしてジョブズはリーダーの役割についてこう語っています。
多くの企業はすぐれたエンジニアや頭の切れる人材を大量に抱えている。でも最終的には、それを束ねる重力のようなものが必要になる。
Appleが成功し続けてきた理由の1つに絶対優位のデザイン戦略といったテクニックを指摘されたりもしますが、僕は元をたどればジョブズの存在に行き着くと考えています。
ジョブズの言う「重力のようなもの」がなくなってしまったために、Appleはいまや上層部を中心に空中分解を起こしてしまってるんじゃないでしょうか。
独断と偏見でAppleの上層部の特徴を言えば、
ティム・クックはモノづくり系の人ではないし、
ジョニー・アイブは美しいフォルムやUIアニメーションは考えますが、使いやすさというより美学を優先し、製品群全体のバランスや方向性を吟味するような人ではありません。
フィル・シラーはスペックやラインナップを並べ立てるばかりだし、フェデリギはソフトウェアに従事しています。
ティム・クックは「今までで最高のiPhoneだ」的なことは連呼しますが、「宇宙に衝撃を与えたい」とか「世界一の〜を作りたい」というような野望を抱く人にはどうしても見えません。
それはジョブズの仕事だったのかもしれません。製品に人間味を持たせ、魂を宿し、製品群全体でグルーブ感を出していくのはジョブズがいたからこそできていたことなんだと考えています。
優れたコンピュータを作ることに生涯を捧げていた人物と社員として義務的に作る人とでは、作られた製品が変わってくるのも当然と言えば当然ではあります。
前編で紹介した2010年のキーノートを見ていて気付きましたが、MacBook Airの紹介映像内でフィル・シラーはタッチスクリーンで操作することの煩わしさを苦い表情ではっきりと説明していました。
MacBookはアウトで、12.9インチのiPadとキーボードならその煩わしさは問題ないんでしょうか?
一貫性がありませんよね。iPad Proでその煩わしさへの対策しているとは思えません。
これほどまでにモノづくりに一貫性がなくなってしまっているのが、今のApple上層部の現状だと思います。
対してMicrosoftでは、ジョブズ的な役割を果たしている人物が2014年にCEOになりました。
サティア・ナデラです。
Microsoftの快進撃
Microsoftは2012年に大きな一歩を踏み出しました。Windows8とSurfaceの登場です。
ただこの頃の製品は無理やりタッチ操作を取り入れた感が強く、完成度はまだ低かったです。
そして2014年2月にサティア・ナデラがCEOに就任、Microsoftの快進撃が始まります。
2014年4月にNokiaを完全買収、6月にSurface Pro3を発売、9月にWindows10を発表、2015年にHoloLensの発表、Windows10のリリースとSurface Bookの発売です。
Apple顔負けの進化っぷりであります。
モバイルは消費ツールから生産ツールの時代へ
Windows8の登場以降、やたらタッチスクリーン搭載のタブレットPCが増えましたが、わざわざノートPCのディスプレイとキーボードを分離させる理由がわからない人も多いかもしれません。
2013年時点で、スーパーIT高校生と呼ばれていたTehu君はこう分析しています。
ノートPCとタブレットってやがて境目がなくなって、というマイクロソフトの動きがありますよね。Windows 8でやってる。僕は、あれは失敗すると思っています。PCとタブレットでは役割が違うから。タブレットはそもそもノートパソコンとは進化系統が違っていて、携帯電話から来たものですから。ここでPCとタブレットが合体して何が生まれるのか。何も生まれない気がするんですよ。
Tehu君の意見を「従来のデスクトップコンピューティングとiPadライクのタブレットコンピューティングを一緒にすべきでない」と解釈するのであれば、同意見です。
僕としても業界がこのまま従来のデスクトップコンピューティングに執着し続けることに未来を感じませんが、
ここではもう少し表面的な「物理的にディスプレイとキーボードを分離させるメリット」について論じたいと思います。
個人的にこれは一時の流行などではなく、時代背景が大きく影響していると思っています。
1つは「個の時代」がやってきたこと、もう1つは「移動の時代」がやってきたことです(僕が知らないだけで他にもあるかもしれません)。
Youtuberやプロブロガー、アプリ開発者などのようにiPhoneの登場以降、会社に属さず個人で働いて稼ぐ人が急激に増えました。それどころか大手メーカーが製品の宣伝を個人にお願いするほどに個人の力が大きくなりつつあります。
ランサーズのようなサービスの登場や「ノマドワーカー」という言葉の流行もまさに「個の時代」がやってきたことを如実に表しています。
そしてそれに合わせるかのようにMacBook Airやウルトラブックが登場し、外出先での作業環境が整い始めました。MVNOが爆発的に増え、SIMフリースマホも買えるようになり、多様なSNSが登場し、コミュニケーションツールも国内外問わず使いやすい環境が出来上がってきました。
場所に縛られない働き方と、LCCと呼ばれる格安航空会社がうまくマッチし、これからは複数の国を行き来する個人が増える時代になると言われています。これが「移動の時代」の到来です。
こういった時代背景に対して、デバイスというのはどうあるべきなんでしょう。
それはやはり、個人個人の生産作業と移動に十分かつ柔軟に耐えうる存在ではないでしょうか。
今後のデバイスに求められる3つの要素
それを実現するためにデバイスに求められる要素は「携帯性」「生産性」「機動性」の3つではないかと僕は考えています。
携帯性は持ち運びのしやすさそのものだが、機動性は使い勝手・取りまわしの良さのこと、様々な使用スタイルを提供できる能力を示しています。
ここで、前編にも出した”Computer”,”Tablet”,”Phone”の3つのデバイスカテゴリと
前述の携帯性・生産性・機動性の3点を、AppleとMicrosoftのデバイスに当てはめて比較してみました。
(マルバツはあくまで僕の独断なので、多少の個人差はご容赦)
Appleデバイスは実直に無垢な塊としてのミニマルさを追求してきただけあって、携帯性は高いです。
しかし生産性と機動性も含めて見ると、Appleデバイスはバラつくのに対し、Surface,Lumiaはかなり安定しているのがわかると思います。
ノートPCのディスプレイとキーボードを分離させることのメリットはここにある、と僕は考えています。
つまり、1台のデバイスが個人の様々な作業スタイルに隙間なく入り込みやすくなる、ということ。
そしてその実現に不可欠なのが、「生産性と機動性の両立」、言い方を変えれば、
「タブレットの”手軽さ”とPCの”高性能さ”の融合」なのです。
しかもSurfaceとLumiaは同じOSが走ります。クラウドでアプリ間連携を強化することとはわけが違うのです。Surfaceの携帯性は技術の進歩が解決し、MacBookやiPadとの差はやがて縮まるでしょう。
サティア・ナデラはMicrosoftの存在意義について
「われわれのMicrosoftでの使命は、地球上の全ての組織・人がより多くのことを成し遂げるための能力を高めることだ」と語っており、Microsoftのここ数年の製品展開はまさにそれを体現したものだろうと思います。
Windows8でOS改革を始め、ノキアを買収してハードウェアとしてのスマホを手にし、Surface Pro3で一気に薄く軽くし、Surface Bookでクラムシェル型PCに畳み掛け、それらをWindows10でまとめ上げたのです。
ナデラはたった数年で見事に生産ツールの時代への準備を整えたのです。ここにナデラの手腕とセンスの高さが伺えますよね。
毎年のように世界家電見本市に足を運ぶ高城剛さんもWindows10についてこう言っています。
「今年はなんと言ってもWindows10ですよね。スマートフォンからサーバーまで同じOSですべて動くのは、まさに次世代のOSです。
Microsoftは、Appleができないことを先にやりました。」
「きっとパワフルなWindows10の8から10インチタブレットの出来が、関ヶ原になるかもしれません。それまでにアップルが、画期的なタブレット=OS11が動くiPadが作れるかどうかが、天下分け目になると考えています。」
(出典:メールマガジン高城未来研究所「Future Report」)
Appleの真の敗因は生産ツール時代への準備ができなかったことと、新しいデジタルスタイルの提案をできなかったことにあると言えるでしょう。
前編で「iPadとMacBookの進化は(広い意味で)行き詰まりかけてはいないか」と言ったのはこういう理由からです。
2015年で2社の将来の分かれ道がはっきりした
2010年にジョブズは、iPadの様々な面の”手軽さ”に目をつけ、生産性の高いMacBookにすぐに取り入れました。
Microsoftのように「デスクトップコンピューティングとモバイルコンピューティングの足し合わせ」とはアプローチが異なるものの、
前述した「タブレットの”手軽さ”とPCの”能力の高さ”の融合」に6年前にすでに取り組み始めていました。
ジョブズの先見性には改めて驚かされます。
MacBookとOS Xを現状維持にし、iPadを生産ツールとして昇格させるとしても、中身は歴史の浅いiOS。OS XやWindows並みの生産性にまで育つには、まだまだ時間がかかるでしょう。
なにしろ昨年にやっとキーボードショートカットに本格対応し始めたところなんですから。それならOS XのGUIをタブレットに最適化した方がずっと早いかもしれません。
その間にもSurfaceはどんどん先を行くことになるでしょう。
iPadのいまのところの優位は、8~10インチをカバーしていることと、パソコンライクなことが子供から年寄りまで手軽にできることにあると思います。
手軽さの部分はまだにしても、8~9インチ辺りをSurfaceで出してきたら、iPadの状況はさらに厳しくなりそうです。
しかしSurfaceはどちらかというとデスクトップコンピューティング寄りで、タッチパッドを必要とすることを考えれば、8~9インチに手を出す可能性は高いとは言えません。
僕は1年ほどスマホなしでiPad Air2のみ運用を(仕事でもプライベートでも)したことがありましたが、
8.5~9.0インチ辺りのタブレットがベストサイズかもしれないと感じました。
iPad Airだと持ち歩くのに若干大きく、かといってiPad miniの画面は小さいのです。
Nexsus9は8.9インチだがギリギリ片手でもつかめるサイズ。この辺のサイズ感のSurfaceタブレットは強力なんじゃないかと思っています。
それはともかく、2015年のSurface Book、iPad Proの発表で、MicrosoftとAppleの将来は決定的なものになったと感じました。
iPhoneが大量に売れたりして数値上はまだ元気かもしれませんが、Appleはもう明らかにつまづいています。
数値にそれが現れてくるのも時間の問題でしょう。
(追記:実際にiPhoneもMacも販売台数が落ちてきたようです)
Follow @CoardWare