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スマホのような小さいディスプレイだと「長文全体から意味を汲み取る能力」が大幅に低下するためです(それでもスマホの閲覧を意識して改行を多く入れています)。
追記を3つ行いました。
– 追記1 2017/07/15
– 追記2 2017/07/19
– 追記3 2021/01/20
—以下本文—
ふと思い立ち、「国内家電は使いやすいのか」を念頭に入れ、その視点を意識しながら家電を使い、この一年間を過ごしてみました。なぜそれをするキッカケになったのかと言うと、実家に帰省した際に、「洗濯機」の使い方がわからず挫折したからです。
ちなみに僕は今までにMacもWindowsもLinuxも使ってきており、プログラミングもやってきているので、
平均以上の「マシン」への打たれ強さはある方だと思います。
その人間が、たかだか洗濯機を回すことすらパパッとできなかった事実は、僕の中では静かな衝撃だったわけです。
何が問題だったんでしょうか?
僕が使ってきた8つの家電のユーザーインターフェイス(操作部分)をこの記事で分析し、掘り下げてみようと思います。
(少し長めなのでお時間のあるときにでも。)
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1.実家の高機能洗濯機
では実家の洗濯機から見ていきます。
こちらがその挫折した洗濯機の操作パネル。
自分で洗濯しようと思い、左側の水量ボタンなどをいじり始めましたが、
あっちのボタンを押すとこっちの設定まで変わってしまい、よく分からないのでとりあえず中央の「スタートボタン」を押しますが、警告音が鳴ってしまい、スタートしてくれません。
設定をリセットしようにも「リセット」ボタンも「切」ボタンも見当たらないのです。
つまりスタート地点に戻ることもできず、ただ設定ボタンを押してみるしかありませんでした。
3,4分間トライし続けたものの、結局回し始めることができず、 あきらめて親にバトンタッチしました。笑
いま眺めてみても「たぶんこういう手順だったんだろう」というイメージが浮かび上がってきません。
ボタンがたくさん並びすぎていて、
どういう手順で設定していけばいいのか、どれが最低限必要な設定なのかが全くわからないのです。
次の例を見てみましょう。
2.自宅で使っている洗濯機
学生時代に一人暮らしを始めた時からずっと使っている洗濯機です。
この洗濯機は持ち主もビックリするほどツッコミどころがたくさんありました。
その操作部分がこちら。
この洗濯機もやはりボタン類が均等に並びすぎています。
ボタンの色に着目すると、「コース」「Tシャツ/Yシャツ」のボタンのみ黒で、他は白色になっていますよね?
この色の違いが何を意味しているのかが全くわかりません。
必ず押さないといけないボタンかと思いましたが、「Tシャツ/Yシャツ」は使ったことがありませんし、「入」→「スタート」を押せばあとは標準コースで回り出すので「コース」ボタンも必ずしも押す必要はありません。
次ですが、下側のボタンがその上のラベルやランプと対応していることは、ぱっと見でなんとなくわかります。
しかしよく見ると、「予約」ボタンの上に「洗剤量」の表記があるんですよ。
また、Tシャツラベルの上に「風乾燥」や「樽洗浄」が表記されていますが、 この2つは左の「コース」ボタンで設定するものであって、
真下にある「Tシャツ/Yシャツ」ボタンとは関係ありません。
要するにボタンとラベルの上下の対応がおかしいんです。
スペースがないからとりあえずここに持ってきた、とでも言わんばかりのデザインです。
また、ボタン類の左側には機能を表すような文字が記してあります。
「濃縮洗浄」「からみまセンサー」「温度センサー」「槽乾燥」の4つですが、これを買った人に訴え続ける意味はあるんでしょうか。
「からみまセンサー」機能を発動するボタンは見当たりませんし、温度センサーもどう役立っているのか皆目見当がつきません。
こういった言葉をカタログや製品パッケージでアピールするならともかく、普段使うボタンの隣で目立たせる必要はあるようには思えません。
ダジャレで紐付けるネームセンスから想像するに、デザインノウハウに難のあるオジサンたちが安易な判断をしてしまっているんじゃないでしょうか。
この洗濯機はツッコミどころがまだまだありますが、
キリがないので次行きます。
3.スーパーの高機能電子レンジ
続いて自宅以外で使った家電、第2弾です。
もちろんこの電子レンジも(電卓の如く)たくさんのボタンが整列しています。
スーパーの休憩コーナーに設置してある電子レンジなんですが、
実家の洗濯機と同様、温めスタートをするまでに困惑させられました。3,4分あちこちボタンを押していたと思います。
この電子レンジもちゃんと設定をしないとスタートできない仕様なんです(と思い込んでいました)。
かといってどういう手順で進めていけばいいのか、そのボタンの並び方からイメージするのは困難です。
ディスプレイでは何の設定が足りないのかわからないですし、こまごましていてじっくり見る気にもなれません。
その後温めることはできましたが、どういう手順だったかもう覚えていません。
数十秒間温めるために神経がすり減らされていることがまったくもって意味不明でした。
セキュリティロックを解除するわけでもあるまいし、、、(後日わかりましたが、スタートボタンを押すだけで温めることができました。自分の思い込みに問題があると思われるかもしれませんが、そのような勘違いを誘発すること自体、デザインに問題がある証拠です。)
それに、右上の「お弁当あたため」がやたら目立ちます。
これは
・ボタン類の一番上に位置すること
・赤色になっていること
の2つのデザインの効果だと思います。
しかしその目立つボタンは「お弁当」という特段、使用頻度の多いわけではない機能が割り当てられてしまっています。
この電子レンジは操作の流れをとことん無視したようなデザインになっており、
取説を頭にインプットしておくことを要求しているようにすら感じますね。
いやむしろ取説データを保存したAIロボットが使うことを想定して設計された
「ロボットが支配する未来を先取りしすぎた電子レンジ」だったんじゃ、、、
という冗談はさておき、
1プッシュで全て自動で調節して温めてくれる、というのがハイテクの正しい方向性じゃないんですかね?
簡単な代替案を作ってみました。
左の青い文字がボタンで、
坂を転がるように設定していけばスタートボタンにたどり着きます。
いや待ってください。
このレンジは多機能すぎるので、そもそもタッチスクリーンに統一した方がいいかもしれません。
全機能をボタンだけでなんとかしようとすること自体が無謀です。
機能を減らすか、ソフトウェアにもっと頼るべきだと思いますね。
4.自宅のシンプルな電子レンジ
続いて僕が毎日のように使っている電子レンジです。
このレンジはいわゆる「ローエンドモデル」で、タイマーの設定と温めモードの切り替えしかないシンプルなものです。
シンプルすぎるので使い方に迷うことは全くないんですが、1つ気になる部分があります。
2択しかないモードに対して、ダイヤルを使っているのは明らかに割にあっていません。
ここはスイッチで必要十分だと思います。
【追記】
コメントへの返事にも書きましたが、このデザイン仕様の一番現実的な理由は「製造コスト」にあると思われます。バタフライスイッチ案が適切かどうかはさておいても、2択しかないモードにたいしてダイヤルUIを当てはめるのはUIデザイン的には間違いなく理にかなっていませんが、
コストをケチる必要のなるローエンドモデルであれば仕方ないでしょう。
5.高機能エアコンのリモコン
実家の高機能なエアコンのリモコンです。
もはや定石ですが、電卓のような並びっぷりです。
1プッシュで部屋を快適にしてくれさえすればそれでいいのに、なぜか漢字まみれのボタンとの睨めっこを要求されます。
6.トイレのコントロールパネル
同じく実家にある、トイレのコントロールパネルです。
毎回使う「大・小」の流すボタンよりも「おしり・ビデ・停止」ボタンの方が大きくデザインされているのが気になります。
ボタンのサイズだけでなく、中央に配置されていることから「おしり・ビデ・停止」ボタンがあたかも主役の座についているかのようなレイアウトです。
さらに赤色になっている「停止」ボタンが、
「私はこのトイレで最も重要な存在なのだ。」
と主張しています。
デザインが便器の本質から遠のいて行っているような気がしませんか?
目指す先は「尿意の停止」でしょうか。
便器の意味!
そして下の方に細々と配置されているボタン類も、普段触るものではないことを考えれば「見えすぎ」です。
というわけで簡単に代替案を作ってみました。
細かい機能設定はすべて上部のカバー内に格納で、
「流す」を中央にドーンと配置しました。大か小かは人間じゃなくて機械に判断させればいいと思います。
「パワー脱臭」は「とりあえず流してから」判断すればいいと思ったので流すボタンの下に。
電池交換はバッテリーアイコンを赤色で点滅させればいいんじゃないですかね?
「洗浄の強さ」は「止」から各ボタンに向かって光るメーターを取り入れ、「おしり・ビデ」ボタンを押すたびに強くなっていくようにすればいいでしょう。
そして「止」ボタンで一発停止です。
7.サーキュレーター
お次は僕が使っている安物サーキュレーター。 このサーキュレーターはすごくシンプルですが、すごく使いづらいです。
その原因部分がこちら。
使いづらさの温床は、羽の下に隠れぎみな位置にあること、
そして首ふりの有無それぞれ3段階(計6段階)が1つのダイヤルにまとめられてしまっていることです。
例えば、現在の設定が「首ふりOFFの1」とします。
風量1を維持したまま「首ふりON」にしたい場合は、
ダイヤルを回して「2→3→首ふり1」か「首ふり3→首ふり2→首ふり1」と巡回しなければならないのです。
巡回の途中で風量が強くなったり、首が回りだしたりするのは結構なストレスです。
しかも1つの目的地に対して、2つの経路があることが余計な迷いを生じさせます。
このケースでは、単純に横スライダーと首ふりボタンに役割を分離すべきだったと思います。
8.祖父母が使っていた電気ストーブ
最後は電気ストーブです。
祖父母が洗面所用に使っていた電気ストーブですが、「いかに使いづらいか」を如実に表す良い例でもあります。
なぜなら祖父母がマジックペンとガムテープでその電気ストーブをアレンジしていたからです。笑
その写真がこちら。(いい写真が残っていませんでした)
その後僕が使い始めたときにガムテープを剥がしてしまったため、残念ながらそれは写っていません。
絵で再現するとこんな感じで、ガムテープを中央で折り、ツマミとして機能させていました。
このストーブはてっぺんのトンガリ部分を回して使うシンプルなタイプですが、
その回す部分がツルツルしていて回しづらいのです。
(冬は手がカサカサで滑りやすいのでなおさら)
もう1つの欠点は「そのツマミが今どの位置にあるのか」が視覚的に分かりづらいことです。
・回転ツマミの照準が数ミリのデッパリのみ(色もなし)
・強さを表す印字が「1000w」「600w」という表記
・印字そのものが小さくて黒い
などなど。
そこで祖父母はその下に「高・中・切」とマジックで書き足したのです。
僕の祖父母の方が企業人よりデザインセンスあるかもしれません。
このストーブはUIデザインとしては最悪で、しかも暖房器具なのに本体カラーがなぜか寒色の青と、
分析すればするほど理解できなくなってきます。
(※ このストーブは小泉成器とサクラクレパスとのコラボ商品で、クーピーペンシル風のデザイン・カラーリングを意図したものだそうです。つまり、青色は多色展開のひとつにすぎないため、問題点ではありませんでした。コメントにてご指摘いただきました。)
絶望的なまでに使いづらい
高機能になるとボタンを羅列するレイアウトが多いですよね。
この事実から、1つの機能を持つ1つのボタンを「個性」と見ると、
日本人は「個性をつぶした画一化のデザイン」をする傾向にあると言えます。
そして、
「選択肢が多いほど心理的に負担がかかる」という事実がありますが、
これら酷いUIデザインの家電は、僕たちから思考のエネルギーを余分に、そして知らず知らずのうちに奪っていきます。
それも毎日です。
これは誇張しているのではなく、普段意識しない部分に着目しているだけです。
悪意がないにしても、ここまでUIデザインに無頓着なのは罪とさえ思います。
ちなみにUIデザインに問題のある製品は、全体的な見た目もダサくなる可能性が高いです。
なぜなら全体の調和が崩れるからです。
洗濯機に挫折したと言いましたが、説明書を読みながらやればちゃんと使えると思います。
しかしそれが家電のあるべき姿なんでしょうか?
洗濯や調理、室温の調整など、本来の目的を円滑に達成させることが家電の目標だと思うんですが、
日本の家電はそれとはほど遠いところにあるように感じます。
それに対し、欧州には秩序を保った美しいUIデザインの洗濯機が存在します。
このような家電が日本の大手メーカーから登場するのはイメージしづらくないですか?
この製品をデザインをする人たちが「からみまセンサー」を製品に(しかも前面に)貼り付けると思いますか?
国内メーカー、結集!
この記事で取り上げた製品のメーカーは
東芝、パナソニック、三菱エレクトリック、日立、ヤマゼン、アイリスオーヤマといった誰もが知る大企業ばかりです。
(見事にかぶっていませんでした!)
1つや2つの小規模メーカーだけならともかく、国内メーカー総出で使いづらいモノを生み出し続けているのはさすがに異常ではないでしょうか。
文字通り「絶望的」です。
表向きは便利さ・快適さの提供を演出していますが、消費者からお金を取ったあとに提供しているのは煩わしさそのものです。
なぜここまで酷いデザインに帰着するんでしょうか?
僕が一つ思うのが
「ソフトウェアを軽視したハードウェア優先の設計」です。
iPhoneが携帯電話からボタンを取り払ったように、ソフトウェアには物理ボタンを減らす力があります。
ソフトウェアを中心に設計すれば、物理ボタンは最小限で済むはずです。
なぜなら、Aというボタンに”どのタイミングで・どんな押され方で・どんな機能を発動させるか”をソフトウェアなら判断と指示ができるからです。
タッチスクリーンであれば、ボタンそのものを自在に変化させられます。
しかしハードから設計してしまうと、一つ一つの機能に物理ボタンを割り当てることになり、先ほどの高機能な電子レンジのように、ボタンまみれの外見になってしまうのではないでしょうか。
少なくとも日本人は目に見えないソフトウェアを軽視するという事実はあります。
しかしこの見方はタッチスクリーンでのUIの問題を説明できませんし、
安物サーキュレーターのようなごく単純なデザインの説明には使えません。
つまりソフトウェア云々以前の話で、もっと根本的な問題があるはずです。
使う側にも問題がある
問題は僕らユーザー側にもあるように思います。
消費者が家電の使い心地に対してもう少し厳しい目を持っていたら、
使いづらい製品はここまで多く生き残れないと思いますし、この低いUIデザインレベルが「当たり前のように」蔓延したりしないはずだからです。
こういうヒドいものがたくさん生き残っているということは、ちゃんと買われているということで、
使う側がこのヒドさを認めていることに他ならないと思うわけです。
メイド・イン・ジャパンを信仰する大人もいたりしますが、
それはバブル期の栄光を引きずっているのではないでしょうか?
そして更に突き詰めると、作り手も「家電の消費者」そのもので、
「低いデザインレベルを見て育ってきた」ということになります。
となるとこれはもう悪循環の成立であり、企業レベルの問題ではなく、社会レベルの問題じゃないかということになってきます。
いや〜、恐ろしくなってきましたよ僕は!
このデザイン的な使いづらさは取り沙汰されないだけで、かなり深刻な問題だと思います。
というより話題にならないからこそ深刻なのでは?
作り手にとっても使い手にとっても当たり前すぎて、もう話題にする価値すらないのかもしれません。
例えるなら、
「ねえ、なんでみんなLINE使ってんの?」
「は?いまさら何言ってんのお前」
みたいな感じでしょうか。
もしくは、死ぬときに当たり前のように墓石を建てるようなものでしょうか。
気付いたらそこにある、かけがえのない常識です。
ある物理学者は「文化」についてこう言っています。
『「文化」とは、人間が獲得し、何世代にもわたって受け継いできた知識をひとまとめに表した言葉だ。群れを成して泳いだほうがいいことを個々の魚が発見する必要がないのも、仲間といっしょに狩りをすることをオオカミが知っているのも、「文化」のおかげだ。』
これから考えられることは、
国内家電の使いづらさ(=日本人のデザイン感覚・美的感覚の低さ)は近代日本の「文化」そのものだということです。
『日本人各々のデザイン感覚が育まれることがないのは「文化」のおかげだ』
って解釈できますよね(笑)
「なんでこんな使いづらい洗濯機使ってんの?」
と聞いたところで、相手の頭上に「?」マークが浮かび上がるのがオチです。
むしろそんな質問をした側が「おかしい」と思われかねません。
(それ以前に、使いやすい洗濯機がこの国には存在しないのでは?)
かの福沢諭吉は有名な『学問のすすめ』で、「国民」と「政府」の関係についてこう述べています。
『こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり』
前に述べた「使う側にも問題がある」というのは、この理のことを指しているわけです。
この論理はなかなか腑に落ちないとは思いますが、要は「類は友を呼ぶ」ようなもので、
政治だろうが家電だろうが、それらのクオリティを生み出すのは「サービス提供者」だけでなく「サービス利用者」にもあるということです。
言い換えれば持ちつ持たれつの関係で、お互いがお互いをがんじがらめにしてしまっている状態です(これはAmazonと楽天の最大の違いとも言われています。つまり、Amazonの顧客の方が質が高い)。
特に多くの大手国内メーカーの経営者が、問題を潰したい起業家ではなく、義務的なサラリーマン上がりであれば、この論理はなおさら効力を発揮するはずです。
この「絶望的な使いづらさ」は、自分たち日本国民が「みずから招く災い」というわけです。
世代を超えて受け継がれ、各々に根付いてしまっているのであれば疑問すら湧かないのが普通であって、いわゆる「消費者の頭の悪さ」を指摘したいとは思っていません。
この厳しい状況は「デザインの教育を徹底する」程度では解決不能な域に達していると思います。
例えるなら「真夏のアスファルトをバケツの水で冷やそうとする」ようなもので、文化にことごとく影響を与えるような「歴史的な転換点」のようなものが必要なレベルではないでしょうか。
さらに言えば、この国はG7という先進国トップ7に君臨する国です。デザインよりも安定性がとりあえず追求される高度経済成長のような時代はとうの昔に終わりました。
高機能性も、もともと専門性の高い「家電」という存在には詰め込まれすぎているほど発展しています。しかし国内メーカーの多くは「使い心地」という次のステップへいっこうに進む気配がありません。
iPhoneやダイソン掃除機のように、海の向こうから黒船がやってくる度に日本の使いづらい製品は淘汰されるかもしれません。
軸のない文化やアイデンティティーは駆逐される運命なんでしょうか。
ただ、GreenFanなどで有名な「BALMUDA」のようにシンプルで美しい家電を作る、熱意のある若手メーカー(2003年設立)も出てきているので、そういったメーカーには期待したいです。
しかしそれでもなお、老舗の大手メーカーは使いづらい製品を生み出し続け、消費者は文句も言わずに買い続けるような気がします。
(※ 下部のコメント欄も議論で白熱しています。ぜひご覧ください。)
追記1 2017/07/15
何が引き金になったのかは分かりませんが、記事公開から1年以上経って、Twitterのトレンド「日本の家電」の起爆剤になったようです。
(一時的なサーバーの負荷で何度再読み込みしてもページを表示できない状態が何時間も続きました。)
「海外家電との十分な比較がないのに『日本の家電は〜』と言えるのか」という反論が散見されますが、たとえ欧米の家電の多くが日本の家電と同じように使いづらかったとしても、「日本の家電の平均的な使いづらいさ」が無かったことになるわけではありません。
さらに国内家電のUIが使いづらいものばかりであることは「家電のあるべき姿」や「人間の生物学的な特性」の2点を問いかけて分析すれば十分見出すことが可能で、海外家電と比較しないと見出せないことではありません。
このようなことから、本記事のタイトルから「日本」を省く必要はないと思います。
また家電に限らず、日々日本製のUI(ヤフオク、求人サイト、業務用プリンタ、デジカメ、公共機器etc)を観察していれば、日本人集団が生み出すUIデザインがボタンまみれで、平均的に煩わしいことは(本記事のように)少し指摘すれば多くの人が簡単に気づけてしまうほどの度合いの強さです。
しかしこれに対し同じ日本製でも、任天堂をはじめとするゲーム業界はもともとUIデザインに神経質なのもあって、家電などと比べてUIデザインはよくできている方ではないでしょうか(ニンテンドースイッチは良い例で、ソニーもPSX向けに開発したクロスメディアバーでグッドデザイン賞やエミー賞を受賞しています)。
ついでに言えば、たかが趣味的に書いて無料公開している一記事のためにダイソン以外の欧米の家電と一つ一つ比較するほどの労力を注ぐ気も要求される筋合いもありませんが、
しかしちゃんと「代替案」をテキトーながらも自分でデザインして提示しているので、意見としては真っ当な姿勢だと筆者は考えております。
また、当記事で意見を述べることの意義は「社会の思考に意味のある刺激を加える」ことであって、「どこの誰もが読んでも納得・同意できる隙のない100%完璧な考察をする」ことではありません。
(たかが一万字程度のブログ記事では物理的に実現できませんし、そんな人間が世の中に存在するとも思えません。)
「ダイヤルがなんちゃら」「代替案が〜」という細々した部分は実際はどうでもよく、そこが当記事の本当の論点ではありません。
意見を述べることそれ自体に不満タラタラな反応を示す方も多く散見されるので、
ついでに書籍『天才と異才の日本科学史』にある一部分を引用しておきましょう。
北里(柴三郎)は報告者であるペーケルハーリング博士を国際雑誌で批判する。しかし、それがきっかけで、二人は親友になった。
日本人同士となるとこうはいかない。自分の研究を批判されると、すぐに「面子をつぶされた」とか、「恥をかかされた」と感じる。日本人は冷静客観的に科学的議論ができず、死ぬまで闘う。(中略)
論理学は明治時代西周(にしあまね)の翻訳により誕生した言葉であり、アリストテレス以来、西洋の伝統的な知恵である。
日本人には全く無縁であった上に、論理学に基づいて討論したことがないから、論理学も討論もその価値を実感したことがなく尊重もできない。したがって、日本では科学者も論理的に討論する事が苦手だ。私たちは日本独特のウェットな人間関係の中で育ち、科学的討論の場でも感情的になったりする。
これは自分たち日本人のデザイン・美的センスの欠如以上に致命的な弱点だと僕は考えています(美的センスは日本民族はもともと持っているものだと思いますが)。
なぜなら前向きな議論・討論ができない集団は自分たちで軌道修正ができず、世の中の変化に柔軟に対応できず、結果、終末へ向かって歩みやすくなってしまうからです。
さらに、意見が出てこないということは、思考に刺激を及ぼす(思考のレベルを高める)機会の損失を招き続けます。
思考に刺激が少ない「画一化」が支配するところでは、その集団の知性・判断力・精神年齢は相対的に低下し続けることになります。
そして「愚民」の度合いが強くなるほど、「苛き政府」の度合いも強くなっていきます。
かくして「終末への道」は不動のものとなるわけです。
(ちなみに日本人一人当たりのGDPはついに韓国に抜かれ、成長率は先進国最下位にまで転落しました。)
惑星から気候、動植物、自分たちの持つ性格に至るまで「多様性のみ」で成り立っているこの世界において、「他と同じであることこそ美徳」という価値観は、自然の在り方に反します。
ところで江戸末期、なぜペリー提督の圧力がかかるまで開国できなかったのでしょうか?
敗戦後、なぜGHQによる立て直しのメスを入れられるハメになったのでしょうか?
なぜ現代日本人は未だに、失われた20年の経済不況を25年前後も立て直せないままなのでしょうか?
議論・意見を尊重できず、物事をうまく評価・考察できない日本人集団は、自分たちで方向転換する能力を持っていないのです。
外国人に軌道修正してもらったとしてもその場しのぎに過ぎず、自分たちの心の根元の問題までは直せていないため、また同じことを繰り返す。
明治の開国からもう150年。
あえて強めの言い方をしますが、
日本人はそろそろ、己らの心の内奥に根付く「辺境の島国で育まれた時代遅れで有害な精神主義」という"真の弱点"を自覚せねばなりません。
現代日本人の心にはまだチョンマゲが乗っかり、フンドシを履いているのです。
格好の事例として当記事に対する反応がまさにそれで、意見を述べると男女関係なく
「まあ!なんてハシタナイことをっ」
とでも言うかのように意見者を力づく(不満・怒り・憎しみの感情)で片付けようとする態度がよく見受けられます。
ちなみに筆者はその「越えてはいけない壁」を承知で、あえてブチ破っております。
本当に有害なのは意見ではなく、その壁です。
その不合理な精神主義をなんとかしない限り、自殺や過労死もいつまで経っても歯止めがかからないのではないでしょうか。
歴史的なリセットという点でも自殺・過労死という点でも、その不合理な精神主義は「無駄に死者を生み出す精神主義」なんです。
自分は預言者でもなんでもありませんが、
"因果"が支配する自然の法則下においては、そのような誤った態度のツケは必ず、自分たちのところへ回ってくるでしょう。
さて、コメント欄にて丁寧なご意見をたくさんいただき、本当にありがとうございます。たぶん僕が一番勉強になっているかもしれませんね。
実際にプロダクト作りに関わっている方々にも刺激になったようで、それだけでも本記事を書いた甲斐がありますし、非常に有意義だと感じています。
いただいたコメント数が多すぎるので、追記にて返事とさせていただきます。
「ここのブログUIが使いづらい」という皮肉を含む反応もいただきますが、
ブログ運営は本業ではありませんしウェブプログラミングも達者ではないので、黙認済みの「手抜き」です。特に筆者の使用機器はもっぱらタブレットとパソコンで、スマホからは滅多に当ブログを見ないので、スマホには余計に気が回っていないことは、はっきり述べておきます(いつか気が向いたら手入れする予定)。
ちなみに5インチ程度のスクリーンサイズは、情報リテラシーの観点では脆弱な側面があります。
一度に表示できる絶対的な情報量が、致命的なほどに少ないからです。
それはさておき、あとは当記事を踏み台に、真剣に反論したい人が海外家電との比較や、より良質なデザイン案をともなった記事を書くなどして不特定多数へ発信すればいいのではないでしょうか。
コメント欄にて丁寧な意見をいただけるのも個人的にはありがたいわけですが、長文に向かず画像なども使えないコメント欄で議論するのは不毛だと感じました(相手が作り手の立場の人ではないのであれば特に)。
筆者個人に向かっての意見よりも、ブログや書籍を通しての意見の方がより生産的だと思います。
特に作り手の立場の方であれば、1記事2記事分くらいの考察はそう難しいことではないはずです。
(ツイートやコメントでちょろっと反論するのはスキル的にも精神的にも圧倒的に楽なもので、1万字に対して数百字なんてのは対等な反論・議論になりません。)
そのような意気込みのある人がいるのであれば、反論かどうかに関係なく筆者としては嬉しい限りです。
追記2 2017/07/19
さらに素敵なご意見、情報提供をいただけて筆者も感服しています。
当記事では問題点ばかり挙げているせいか「筆者は日本人嫌い」という印象を一部の人に与えてしまっているようです。
しかし僕は日本古来の「美」「高度な精神性」に強く惹かれており、散歩がてら神社の様式を観察しに行くほどで、
日本語が持つ潜在的な柔軟性や、西洋のサイコロにはない日本のサイコロの目が持つ自然美などの素晴らしさも認識しており、また千利休といった偉人たちの思想にも感銘を受けるなど、「日本人嫌い」どころかむしろ「日本通」なところがあります。
(ちなみにiPadのロックスクリーンは日本庭園です。)
日本には優れた文化、食事、自然などがあり、外人が持っていない精妙な感性と精微な技術力を持ち、時代問わず国際的に活躍する幾多の個人も輩出するなど、日本人であることに誇りを持っています。
日本人は個人としての能力は比較的高いとも思いますが、当記事の後半で指摘しているのは「集団としての弱点」です。
また、デザイン・美的センスの欠如は「明治以後の近代日本」、意見を尊重できない点は「島国全体が村である日本」と、弱点といっても出所が違うので、決して日本人全体を否定・批判しているわけではありません。
"意見"というのは「仲間・協力関係」だからこそなされるものであって、「敵対視・ケンカ腰」でなされるものでもないと僕は考えています。
もし本当に日本人が大嫌いであれば代替案は示さずに「ただの批判」で済ませるどころか、当記事を書くことすらせずに「見て見ぬフリ」をします。
問題点指摘と提案をしてしまったら、相手の役に立ってしまうからです。
(ちなみに国内マスメディアの得意技は「見て見ぬフリ」のようです。笑)
さらに言えば、「負の感情」は理性を屈服させてしまうので、感情的になっている時点で「議論・討論」は成り立たないはずです。
さて、コメントにて特に興味深いと感じた情報を一部ここで挙げさせていただきたいと思います。
まずご紹介いただいたこちらのTogetterのまとめページ「ゲームプランナーから家電業界のプランナーに転身した友人の感じたこと」。
そしてフリーランスのデザイナーさんの現場でのお話を全文ここで引用させていただきます。
私はフリーランスのデザイナーです。
日本の地方や零細のクライアントや代理店は、デザインとは自分の子供でも出来るお絵描きだと思っており、それにお金を使うと言う発想がありません。
結果全てが近所の商店のチラシレベルになります。
そして大手代理店やナショナルクライアントでも、デザイナーに求められるのは肩書きと過去の実績、そして最も重要なのは担当者と気が合う事で、デザインそのものはあまり語られません。
一番分かりやすいのが、仕事をする時に代理店と一緒にクライアントに行くと、日本のクライアントは代理店と優先的に話をします。気心が知れているのと、制作は誰でも良い出入りの業者的な扱いになるので代理店から聞いておけと言う感じになります。クライアントに会わないことさえ多々あります。
(尚、有名人はこの限りではないので日本のデザイナーは自身が有名になる事を目指します。)
しかし外資の企業と仕事をして、ヨーロッパやアメリカの本社から担当が来ている場合は、代理店担当者は繋ぎでしかなく、デザイナーと直接話したがります。そして世界的に有名な企業の上層部でもかなりのリスペクトを持ってデザイナーと話をしてくれます。そして成果物に対する評価や議論も本気でぶつけて来ます。
20年以上仕事をしていますがこれは100%毎回です。
現代の日本人は無形のもの、数値ではなく主観でしか評価できないものに対する結論付けが出来ないのだと思います。
更にここに社内政治が出てきます。
日本、特に大企業、では偉い人の機嫌を良くする事が良い物を作る事に優先されます。
開発部門の本部長が次期社長候補であったりすると「からみまセンサー」と彼の呟いたダジャレを「素晴らしすぎてデザインに組み込ませて頂きました」と言う方が、良い物を作るより担当者の出世が早くなるので、デザイナーにそう言う指示が落ちて来たりします。
それらは大抵デザインに致命的な打撃を与えるので、その時点で良い物を作ろうと言う思いは全員の心から消え、どう皆の機嫌を取り次の仕事に繋げるかに心がシフトします。
これは国民性なのでメーカーだけでなく、クリエイティブ全般で同じだと思います。
才能もセンスも欠片もない10代男女が出した楽曲が成果物のレベルに関係なく、頑張って努力しているので応援したいと言うモチベーションで売れたりします。
クリエイティブにおいて最終成果物の出来に関わらず、過程の評価で売れると言うのは世界でも日本独特の現象です。
なので世界において日本で評判の若い芸能人の楽曲が、奇異と言う事以外で、売れる事は絶対にありません。
でも日本ではそれで良いのです。
その辺りも鑑みると、このヒドいUIは開発部と宣伝部、製造部門など全員の納得を得た完璧な、そして絶望的に無駄な、社内調整や仲の良い代理店が手配した立派な経歴を持ったセンスのかけらもない、または希望を失った、デザイナーなどが作り上げた、誰もが納得できる過程を経た、という究極に日本的なデザインなのではないでしょうか。
このように広い視点で、なおかつ高い洞察力から来る意見が日本語で出てくるのはかなり貴重なことだと思います。
さて、このデザイナーさんの経験談・ご意見・お考えを引き出すことができたのも、当記事の大きな成果の一つでしょうし、同じ現代日本人として、客観性をともない優れた洞察力をもつデザイナーさんがいらっしゃることを確認できると、本当に嬉しくなります。
(お偉いさん方に疑問を抱く芸大生さんや、URLを貼ってくださる方々などに対しても同様です。)
意見や議論を当たり前のように尊重し、こういった意見が当たり前のようにあちこちで出るような日本社会がいつか実現されることを願っています。
(なお、コメントではスパム対策でURL付きは「承認待ち」となってしまいます。ご不便おかけしますが、気づき次第承認させていただきます。)
みなさま、本当にありがとうございます!
追記3 2021/01/20
炎上から3年半たち今さらですが、2021年という今でもコメントをいただくので追記することにしました。ソフトウェアやタッチスクリーンについて異論反論が意外と根強く出てきたのは、正直驚きました。
コメント1:2017/5/10「安易にソフトで解決する案は、有効なように見えて実は逃避的であると思います」
コメント2:2017/7/14「あなたはソフトウェア万能主義的に見えました」
コメント3:2017/11/19「確かにボタンを減らす力はある反面、画面遷移より物理的ボタンの方が分かりやすい場合も往往にしてある」
コメント4:2020/7/24「物理スイッチの安心感はありませんか?液晶パネルの不安定さがいやになることがあります」
僕は本文にて、「ソフトウェアを中心に設計すれば、物理ボタンは最小限で済むはず」
「タッチスクリーンであれば、ボタンそのものを自在に変化させられます」
「ハードから設計してしまうと、一つ一つの機能に物理ボタンを割り当てることになり、先ほどの高機能な電子レンジのように、ボタンまみれの外見になってしまう」と述べました。
しかし、何もスマホやパソコン、あるいは ATM のような画面遷移ばかりの複雑な GUI をイメージして言ったのではありません。
下の画像のように、ごくごくシンプルな GUI を少ない物理インターフェイスと組み合わせるデザインも可能なんです。
こうすることによって、ソフトウェアとハードウェアそれぞれの長所を組み合わせることができます。つまり、シンプルな使い心地とクリーンな見た目を維持しつつ、高機能化を実現できるということです。
ところが日本メーカーはそのような有機的デザインが苦手なため、この炊飯器のように、やたらゴチャゴチャしたものを生み出してしまうのです。
見にくい(醜い)と思いませんか?
最後に、Quoraにて2020年1月、筆者が日本メーカーの問題を多面的に解説した回答をしましたので、興味のある方はぜひ一読してみてください。
なぜ日本の携帯電話メーカーはAndroidOSに固執し、独自OSを各社合同で作り世界の携帯電話シェアを奪いに行かないのでしょうか?iOSやAndroidOSだけではつまらないと思います。
当記事よりもはるかに長文ですが、識者たちの見解も多数引用し、Quoraユーザーからも良い評価をいただいています。今の日本が、先進国としてデザイン面に著しく弱いのは間違いありません。
アウディ車のデザインに携わり、バルミューダのアドバイザーでもある工業デザイナー、和田智さんもおっしゃっています。
「日本人は"ない"ことを怖がるんですよ。エディトリアルデザインでもそうだし、クルマのデザインでも、例えばボディサイドの余白が怖いとかね。日本メーカーは、とくに経営陣は、その余白に耐えられないんです。」
PS.ちなみに次の回答によると、世界48カ国で行われた小中学校の教員に対して行われた指導実践のアンケート調査で、「批判的に考える必要がある課題を与える」という項目が、日本はダントツの最下位だったそうです。そして回答者は「とにかく与えられる情報や環境に文句を言わずに従うべきだという美徳が、まさしく日本人の従順かつ無批判なマニュアル思考だということになります」と結論付けています。
日本が最下位になっている「面白い統計」を教えてもらえませんか?に対する萩原 遼さんの回答
有色人種の製品ですから、多めにみてあげましょうね。
あくまで猿人間なのですから。
差別主義者
一通り目を通して、指摘されたのは操作系の話ですが、
日本製品には反省すべき点が多々ありますね。
昔の日本製品が海外で評価されたのは、使いやすかったからです。
使い手=消費者の身になって作り手が良く考えたからです。
使いやすいデザイン、衛生的なデザイン、効率的なデザイン、
使うほどになじみが出てくるデザイン、
PCなど他製品とのインターフェイスにも注意を払うべき時代になりましたが、互換性に難があったり。
取扱説明書でも顕著ですが、不親切になりましたね。
あまり頭の良くない人が担当して、適材適所となっていないんだと思います。
現実と違ってムカつく
暇すぎてうひょ~~~~!!!
私は台風の目になりたい、☆きらぁ
慣れるわけないかなぁ?
こんなに使いづらいのは見たことがない!
人との関わり合いなんて糞くらえだ
折り紙とか折り線が書いてなかったりするところがあるので難しかったりする。でも一度答えが見つかればいい思い出になる、人も折り紙も同じ機械だって。。。あれ?良く分からなくなってきたね。
友人の家にいって使おうとしても分からないのは
優先順位がおかしいから、物事には順番があるはずだけどそれがない、でもやっぱり俺はどっちでもいいよ。
使ってたらなれるだろ
全くそのとおりですね。
世の中ボタンが沢山付いている方が高機能で、自動処理がたくさん付いている方が便利に決まっています。自分は自動処理なんか使えないのですが、みなさん使いこなしていらっしゃるので、良い製品であることは間違いありません。だから最初は調べて覚えないと基本的なことすらできないのですが、勉強もしないで出来るようになろうなんておこがましいにもほどがあります。操作を間違えて思い通りにできなくても、自分の勉強不足です。毎回調べて使って覚える必要があるのは当たり前です。使いにくくて他のメーカの製品に変えても同じことが繰り返されるので、世間の常識です。
使っていたら慣れるので、デザインなんて二の次で良いと改めて認識いたしました。ボタンが少ないと安っぽく見えますよね。私の上司も同じことを言っていました。売れれば勝ちなんだから、どうでもいいから売れそうなものを作れと。
そう言えば掃除機にはスイッチが少なすぎます。うるさいし電気代の無駄なので、強力に吸い込めば良いというものではないじゃないですか。使っていたら慣れるので、もっとスイッチを着けてください。ダミーでも良いのでたくさんお願いいたします。盗まれたりしたときのためにパスワード機能も必須です。指紋認証だとスイッチが少ないので、テンキーがいいですね。
親が認知症になったときボタン一つでON/OFFが内部でトグルになっているスイッチが押せなくなりました。
見た目が変わらないものは一見スマートですがわかりにくい。
昔ながらの電子レンジのダイヤルって実にシンプルですばらしいUIでした。
iPhoneも自画自賛してるほどすばらしいUIとは思いません。
ダイソンの掃除機も何も見ないとゴミ捨ての方法が思いつきませんでした。
iOSも、特に画面の大きいiPadのGUIはボタンが小さかったり、多くの問題があると思います。
あのジョナサン・アイブでさえ満足度の高いUIをデザインできているとは限りません。
国際的な鉄道デザイナーのアレクサンダー・ノイマイスターがデザインしたある地下鉄は、
扉が開くときは両扉の切れ目が緑色に光り、閉じるときは赤色に光るので
遠くからでも視覚的にわかりやすく、これはいいアイデアだと思いました。
要するにボタンの形状だけでなく、緑・赤といった単純カラーも「認知」に一役買うということです。
iPhoneとダイソン掃除機に触れているのを見る限り、記事上の褒めている製品に対するツッコミをされているのだとお見受けしますが、
「いつ」「どこ」の「誰も」が満足し、機能性も満たしきる完全無欠完璧なUIはありえないはずです。
大切なのはひたすら「より良い」を追求していく姿勢です。
そして、国内の大手メーカーは操作性において「より良い」をほぼ放棄していることに問題があるのです。
スペックでは捉えきれない部分が大して進化していないと思います。
それに比べれば、iPhoneやダイソン製品は「より良い」に積極的なほうです。
追記も含めて、非常に興味深い記事、ありがとうございました。
UIの使いにくさについては、まったく同感です。
私なりに感じることを2,3書いてみます(すでに書かれていることは除きます)。
まず、日本企業の多くはいまだにモノが良ければ売れると信じているところが多分にあります。残念ながらインターフェースは含まれません。だいたいどこも開発は火事場のようなあわただしさでしょうから、前例踏襲やハードウェアエンジニアの思い付きにより、使いづらく成熟度の低いインターフェースとなるのはごく自然な現象に思えます。
同調圧力のなかで出る杭とならないよう教育されていることも、影響しているように感じます。これは自分自身もその呪縛を感じていますが、結局新しいインターフェースを考えたとして、それの良否を自ら判断できなかったり、自信がなかったり、怖かったりする。あたかも炎天下に親が学校で禁止されているスポーツドリンクを「勝手に入れられた」と言い含めて持っていかせようとしても、「禁止されているから、見つかったら怒られるから」と、子供が拒否することに似ています。
ただ、同調圧力だけのせいにはできない、不勉強の裏返しの側面もあります。精通することで、克服できる部分もある。でもそこまでする人は少ないと思います。日本の職場には驚くほどプロフェッショナルが少ない。いたずらに経験を積み自己陶酔する人があまりに多いことにも驚きます。
OBにたまにまともな人がいて、このようなことを言っていました。開発とは人間の研究をしなければダメなんだ、人間の研究だから結論は出ない、ところが日本企業はそれを嫌い、モノづくりにうつつを抜かしてしまう、と。結論が出ないからこそ、仮説を立てて議論し、検証するなかで高みを目指す。iPhoneも、そうやってNewtonに始まる屍を乗り越えて一つの高みにたどり着いたのだと思います。
じつは筆者が当記事で本当に伝えたかったことは「日本特有の醜いデザイン言語」であって、「一般論的なBad UI」ではありません。Bad UIはBad UIでも、日本特有のBad UIなんです。
そのために異なったタイプの屋内機器を取り上げたうえで、複数のメーカーで同じことが起きていることを強調し、それを日本の文化に紐づけたのが当記事です。
ところが、当記事を公開したのが2年前、SNS上でヒットしたのが1年前、そして今年に入り、その「日本特有の醜いデザイン言語」のことがほとんどの人に伝わっていないことにようやく気がつきました。
ユーザーインターフェイスにおける「デザイン言語の精妙な差異」を認識するには、デザイン領域のかなり専門的な感性が要求されるため、技術者や一般の人たちには言語化してあげない限り、理解されることはまずありません。
そのせいで当記事に対して「日本の問題にする前に海外の家電と比較しろ」「海外にも使いづらいUIはある」「タイトルの"日本の"は強調しすぎ」「日本嫌いにしか見えない」といった反発が出てしまったようです。コメント欄にありますドナルド・ノーマンの著書や、英語圏のUIの問題提起の記事提供、海外での事例を話している方々も、当記事の真意を汲み取れているとは言えません。
コメント欄を眺める限り、この「日本特有の醜いデザイン言語」のことを認識されていると感じられるのは、追記でも引用させていただいたフリーランスのデザイナーさんくらいです。つまり、その意味では理解者はほぼゼロでした。
さて、僕はメーカーでプロジェクト経験を積んできていないため、内部の方のお話は大変参考になります。
ただ、『新しいインターフェースを考えたとして、それの良否を自ら判断できなかったり、自信がなかったり、怖かったりする』ことについては、『同調圧力だけのせいにはできない、不勉強の裏返しの側面もある』と述べられているように、同調圧力による怖れ以前に、ご自身のデザイン感覚に自身が持てていないのではないでしょうか?
本当にデザインセンス・スキルや自分の視点・視野に自信があるのであれば「なぜそのデザインでなければならないのか」を論理的に説明できるもので、「それの良否を自ら判断できな」いような事態に陥りません。論理的に説明できるということは、上手くいく根拠を持っているということです。
それに加え、日本社会で社員として働いてきたことによる「失敗を怖れ、挑戦を躊躇する度合いの強さ」も影響しているかもしれませんね。日本人は挑戦しようとしませんから。
もしくは偏差値教育などによって数値的基準がないと物事を判断できなくなってしまっているのかもしれません。フリーのデザイナーさんの言うように『数値ではなく主観でしか評価できないものに対する結論付けが出来ない』状態に陥っているのだと思います。
また、おっしゃっている『だいたいどこも開発は火事場のようなあわただしさでしょうから、前例踏襲やハードウェアエンジニアの思い付きにより、使いづらく成熟度の低いインターフェースとなるのはごく自然な現象』というお考えは、大いに改められたほうがいいように思います。
開発プロセスが「前例踏襲」からスタートするのは、「製品はどう在るべきか」がわかる人がいないからではないでしょうか?
また、「ハードウェアエンジニアの思い付き」が許されるのは、デザインやデザイナーを尊重できていない証左だと僕は思います。エンジニアが「統合デザイン」に手を出すと悲惨な結果になります。
つまりその根本的な原因は、現場が慌ただしいかどうかというより、プロジェクトのリーダーや経営者にデザインに理解のある人、人類の発展を目的としたモノづくりに熱意を燃やす人、長期ビジョンを描ける人がいないことにあるのではないでしょうか。
『開発とは人間の研究をしなければダメ』には僕も同意で、あらゆる人工物は生命のため、とりわけ人間のために存在しています。ゆえに人間を中心に添えて設計、デザインをするのは当然のアプローチです。
しかし、お金回しや社内政治、上層部の肩書きやポジション保守、営業マーケティング、もしくは技術者の独りよがりな技術志向などが製品開発の目的となってしまうと、間違いなく的外れな製品ができあがります。
実際、ここのコメントを見ても「コストが、コストが」の連呼が目立ちます。頭の中がお金にすっかり毒されているのです。
『前例踏襲やハードウェアエンジニアの思い付き』の原因もこの辺りにあるのではないでしょうか?要するに"人間"から逆算しないことによる思考停止です。
それに加え、日本社会は"デザイン"に対する理解や尊重の態度が比較的弱いです。
当記事に対しても、設計者や技術者、営業系の人のコメントは複数ありますが、デザイナーを名乗る人からのコメントが不思議と出てきません。海外でも仕事をされているフリーランスの方だけです。
記事で指摘している"使い心地"の問題は、コストや技術ではなく、デザイン上の問題です。そのためデザインに理解のない企業人ばかりがコメントを残していくという現象は、冷静に考えておかしなことだと思います。デザイナーたちがもっと主張してきてもいいはずなんです。
このように、製品開発に対する日本人の姿勢は、当記事のコメント欄が暗黙に物語っているのではないでしょうか。
そして『日本企業の多くはいまだにモノが良ければ売れると信じている』という高度経済成長期のような「丈夫さ第一」のきわめてアンバランスなモノづくり姿勢や、『日本の職場には驚くほどプロフェッショナルが少ない』という現状は、素人くさい個々の製品が無言のうちに語っていると思います。
拝読させて頂きました。過去の記事ですのでコメントするか悩みましたが、どうしてもお伝えしたかったのでコメントさせて頂きます。
もう、すべっっってにおいて、同感、共感しかありません。
先日まさに某大型家電量販店さんにてオーブンレンジ・炊飯器を買いに行ったのですが、
まあどれもこれも、ツルッピカの素材の本体にダサい色のボタンがごちゃごちゃと並んでいて、あまりのダサさに愕然としました。デカデカと「餃子解凍」「ハムエッグ」というボタンが並んでいる様を見て、もしうちのおじいちゃんなんかがこれを見たら、なんてハイテクなんじゃあ〜!とか言い出して買っちゃうんじゃないかって心配になりました…。(お年寄りにはうけるのかも)
1年ほど前にバルミューダのトースターを買って以来の家電の買い替えだったので、今の家電はもっとバルミューダのようにどこもおしゃれになってきているはず〜なんて勝手に思い込んでいましたが…。
ちなみにバルミューダのオーブンレンジもありましたがやはり美しく、とても欲しかったのですが我が家では予算オーバーでした。
結局、とにかくボタンが少なくて、かつ本体もボタンも色がケバケバしくない製品を購入できましたが、やはりそのような製品は少数でした。
Fumi様の代替案のボタン、ほんとに、そうそうそうと声を出して共感しました。
わかりやすく、シンプルなのが1番です。
特に今なんて、InstagramなどSNSで、様々なオシャレなおうちの中を拝見し放題なので、自分も我が家のインテリアをよりよくしようと刺激を受けますし、
家の中に絡みまセンサーなんて書かれた家電があったら…やだ…捨てたい…。
「使いやすさ」よりも「デザイン性」寄りのコメントになってしまいFumi様の発信したいこととずれていると思います。申し訳ありません。
うちのおじいちゃんのようにボタンがごちゃごちゃある製品の方が、なんとなくカッコイイ!最先端!実際その機能使うかどうかは別として買っちゃお!
と考える年配の方はやはり一定数いるのでしょうが、パッと見の、こんだけ機能付けたったわ!ドヤァ!という製品をもう必要としていない人がいることも、作っている方にはわかって欲しいなぁと思います。昔からよく見る、牛乳温めボタンですら私は使ったことありません。
「説明書見ろ」というコメントがちらほらありますが、説明書読むのが苦じゃないの、本当羨ましいなあと思います。私の中ではお金貰っても極力読みたくない、それが取扱説明書。
長々と場違いなコメントすみません。ステキな記事をありがとうございました!
「使いやすさ」や「使い心地」もデザイン性のうちに入りますので場違いでも何でもありませんよ。それどころか、よくぞ言ってくださいましたという感じです。
主婦の方が家電に対してフィーリングの部分をそこまで大事にされているのを見ると嬉しくなります。やっぱりインテリアはいろんな部分で快適な空間にしたいですよね。家電ももっと「どんなインテリアにも溶け込む出しゃばらない落ち着きのあるデザイン」が広がってもいいと思うんですが、コメント欄を眺めてもお分かりのように今の日本人はどうもその辺りを気にしないようです。視覚的な雰囲気の部分などです。
また、"思考の塊"を与えるときには、長文となるのが普通です。数行程度の短文は単純に「賛成、反対」の意を示せる程度で、深めの見解を伝えることはできないんです。そのような短文主張は「思いつきレベル」であることが多いので、真面目に相手をするメリットもありません。
そしてお考えを述べるときにわざわざ謝らなくてもいいんですよ。おもしろいことに日本人は「より良い社会にとって足かせとなる問題点の指摘」を述べる際には謝り(もしくは極端に控えめで遠回しな口調となり)、そういった人たちを自己満足のために叩くときは謝らない上に、躊躇なく汚い言葉を使います。
社会の発展の"摩擦抵抗"となるのは後者なのに。
それに女性からのそういった声は貴重だと思います。これからは女性的な感覚が重要視される時代なので、20代主婦さんのようにご自身のお考えをしっかり持ち、主張していく姿勢を女性陣にはもっと持ってほしいと思いますね。
権力や肩書きに執着し、美意識や雰囲気、心地良さといった目に見えない感覚的な部分を大切にしない男どもはしだいに白日の下に晒され、社会から淘汰されていきますのでどうぞお楽しみに!
(もう始まっていますが。)
“議論をする目的は、特定の主張を含む三角ロジックについて
参加者がその不備を洗い出すことによって、
その主張を精密で頑健なものにすることです。”
“私たちが入手できるデータは常に不完全です。また、考え出すワラントも常に不完全なものです。
それを分かった上で、その不完全な部分をできるだけ小さくすることで、
主張を頑健なものにしたいのです。”
『4. 主張を組み立て、議論する – 向後研究室教材サイト』の「4.3 議論の方法」より
By 向後研究室, 表示 – 非営利 – 継承 2.1 日本, 4. 主張を組み立て、議論する
デザインから何から全部技術者に丸投げしてるからでは?中身を全部理解している人間=製作者がデザインするからこうなる。雇用されているはずのデザイナー(もどき)がただ飯喰らってるのが悪い。
中身を全部理解している人間=製作者がデザインできていないことが最大の問題
これ、デジカメなんかに付属するパソコン用操作ツールも同じです。
WindowsOS用なのにWindowsの操作系を全く無視していたり、使用される語彙も独特です。
これが高度なエンジニアリングツールなら機能性に使う方が歩み寄ることも仕方ないかと
思いますが、家電製品の操作ツールがこれでは話にならないと思いますね。
最近の家電は昔より洗練されてきていてうれしいです。
この記事の、日本人論的なところを読んでこれを思い出した
↓
コリン・ロス「日中戦争見聞記─1939年のアジア」より
——–
日本人は他にいろいろすぐれた特性をもっているが、一つだけ大きな欠点がある。
日本人は何事も決定できず常にすべてをしかも同時に望んでいるということだ。
このことは経済面と同様、政治面、軍事面でもあてはまる。
わたしの見解によれば、こうした欠点があるために、終局的に成果をあげつつ
日中戦争を終わらせることにこれまで失敗してきた。
中略
日本の経済危機の本来の理由は、日本人が、もろもろの根本的決意、決定を、
最後の瞬間まで回避していることである。
日本人は当座の間に合わせに終始する民族である。
もはやどうにもできなくなると、日本人は自助の精神を発揮し、すみやかに、
しかも巧みに行動する。
ウォシュレットのuiですが、「止」ボタンが強調されているのはフェイルセーフの観点からだと思います。ただ、「おしり」、「ビデ」のボタンと同一の円のモチーフを使うのは理解できませんが…
あと、ひどいui だと思ったのが大きな本屋さんの検索機ですね未だに五十音で入力するようになっていたり…
初めまして。
ここしばらく、日本の誇るT社の車を運転する機会があり、その車のインパネが全く同じ状態で困っておりました。
異なる機能系のボタンがごちゃ混ぜに詰め込まれ、液晶表示等も同様で‥。
多分、ボタン類の形だけ先にデザインして、後から無理矢理機能を割り付けたんでしょうが、 他にも運転者に優しく無い操作系がポロポロ目に付き、疲れる事しきりです。
こんなの皆さん気にならないのかと色々検索していたところ、こちらの記事に辿り着いた次第です‥。
[…] 「日本の家電の「絶望的な使いづらさ」について」でも記載されていますが、日本は優れた製品が開発されているのにも関わらず、デザインとなると極端に使いにくくなってしまいます。 […]
経済評論家の上念司さんも賛同してリツイートするくらい優秀な記事ですよこれ
ブログ主を叩いてる人頭ちょっといかれてる
漫画とか見れば分かるけど読みやすい作品ってごくごく一握りなんだよね。
だいたいの漫画は漫画のくせに文字でベラベラ説明していたり、ごちゃごちゃ書き込みすぎていたりね。
超人気作品ですらそう。
つまりサクッと分かりやすいものを作れる才能ってかなり貴重。
鳥山明みたいな人材はそうそういないと思う
なんとなく見てたが、あまりにも的外れなコメント過ぎて笑ってしまった。
鳥山明にはコナンも金田一も描けないだろう。
スポーツ漫画すら怪しい。
デザインの使い易さの問題と、好みや内容に大きく左右される漫画のスタイルを同列に語る時点で何も理解していない。
名前を勝手に使われるジョブズが気の毒。
まずは取扱説明書を読みましょう。
いちいち取扱説明書を読まなければいけないようなインターフェースが問題であり、それを鵜呑みにしてきたユーザーにも問題があると筆者は主張していますが、ちゃんと読んでますか?
家電のデザインが使いにくいものが多い、これは本当その通りだと思います。ただ、仕事でハワイに行った時に、コインランドリーにあったアメリカ製の洗濯機も絶望的に使い方がわかりにくかったので、日本だけの問題かは分かりませんが。
ただ日本のモノづくりを良くしようという観点で、ではなぜ日本の家電のUIがこうなってしまったのかを考えました。
1.盲目的な前例踏襲
前の機種がこうだったから大幅には変えるとユーザーが混乱するとか言う理由で改善されない。本当に優れたUIに変えれば混乱しないはずだが、その自信がない。
2.そもそもUIの設計思想がない
使用頻度や操作の流れに沿ってデザインすることよりも、とりあえず平等に全てのボタンを並べる。この「平等」が大事だと思ってる。ノイジーマイノリティーにクレームつけられるのを恐れて、ボタンに優先順位を付けられない。
3.スマホのUIが優れているので相対的に使いづらい
ひと昔前なら「機械なんてこんなもん」て感じでしたが、スティーブ・ジョブズが取説なしで使えちゃうシンプルイズスマートなiPhoneを作ったので、ガラケーをはじめとする日本の家電の使いづらさが目につく。
良記事ありがとうございます。
メーカーの担当者が通販サイトの製品レビューを読んで分析対策してませんね。
それが問題です。不評な理由には、改善につながるステップアップが隠されていることがあるのです。
そういえば、ガラケーのUIもひどかったよね。
久しぶりにガラケー触ると全く使い方が分からん(笑)
タッチパネルの時代ではないのでいささか仕方ない気もします。
日本のメーカーの欧米仕様は国内仕様と打って変わってシンプルで端正なデザインなんですよね
電子レンジ(microwave)なんか顕著です。沢山のボタンも整然と配置していて色使いも大人しい
ええ?これがあのpanasonicやsharpなの?って思います
日本のメーカーは日本人向けと欧米人向けでデザインを厳然と差別化しています
あのケバケバのボタンや本体色の製品は欧米には売っていません。皮肉にも日本人はそのことをほとんど知りません
コストと過去機種との互換性を無視した馬鹿
家電の操作に関して文句を言って、しかも自分がプログラミングをやってきたと言っていますが、プログラミングをやる前に、まず「基礎」をしっかり勉強しなければならないのでは?
家電もある意味「プログラム」で動いています。その動作の制御を単純化するためには仕方がない部分も多いのでは?しかも、限られた場所で、しかもいろいろなシーンで機能を操作できるように各メーカーがデザインや設計を考えた結果のUIで仕方がないのでは?
家電へのプログラムの組み込みは、当然製品の価格に反映されます。それを前提として少しでもコストを抑えようとするためにこのような結果になるのです。
スマホの操作のようにワンタップで簡単にできるようになれば、当然製品の価格も上昇します。
このブログはその製品の機能=製品価格をいうのを無視して自分の言いたいことだけを言っているような感じがします。
使用方法がわからなければ「説明書を読む」、これが基本です。
お前バカだろ?
間違いなく馬鹿だな
全く同感です。
金融系IT業界に身を置くもので世間一般よりはメカに強いと自負しておりますが、某茨城の有名メーカーの全自動洗濯機がうまく使えません(笑)
使うものの知性を試すがごときUIに悪戦苦闘、おまけにいざ洗濯が始まると蓋が完全にロックされ「ついでにこれも入れちゃえ」を許してくれない。
メカにそんなに強くない家内が文句を言いながらも操作できているのでコツを聞くと、「言うことを聞いてくれないときは一度コンセントを抜く」との答え。
ま、ある情弱一家の戯言です。
[…] (追記あり) 日本の家電の「絶望的な使いづらさ」について http://fum-s-tyle.com/japan-electrical-ui.html […]
この程度も理解できない脳ミソだと今の御時世生きていくのが辛いだけでしょう。
いっそ森のなかで暮らしてみたら?
何一つ共感できないのは久々です。
あっえっうそ私のブログ?読んでくださったの?ありがとう!森に住んだ方がいい感じ?そんな原始人ぽかった???
面白そうだなと思って見たけど、くだらなかった。
最初から説明書を見ればいいと思う。
それを自分の都合で見なかっただけなのに、文句を言うのは違う気がする。
慣れない人にはわからないかもしれないけど、ボタンと絵で大体使い方の想像はつく。
と言うか、一番最初にちゃんと説明書を見ていれば、機種が変わっても操作方法は大体同じ感じだから使えると思うけど。
載ってた画像の家電は使ったことないけど、自分は説明書見ずに操作できると思う。
3つも投稿してますが釣り?
全然操作できてませんよ。
家電メーカーの技術部にいましたが、
「このボタンの多さは何とかならないのか?」
と常々思っておりました。
取説なんか見なくても使えるUIがベストなのは言うまでもないことだと思います。
ですが、企画、デザイン、技術の風通しがよく、自由闊達に意見が言える会社じゃないと難しい気がします。
常に製品化日程に追われているようでは、無理ですね。悲しいですけど。
面白そうだなと思って見たけど、くだらなかった。
最初から説明書を見ればいいと思う。
それを自分の都合で見なかっただけなのに、文句を言うのは違う気がする。
慣れない人にはわからないかもしれないけど、ボタンと絵で大体使い方の想像はつく。
と言うか、一番最初にちゃんと説明書を見ていれば、機種が変わっても操作方法は大体同じ感じだから使えると思うけど。
載ってた画像の家電は使ったことないけど、自分は説明書見ずに操作できると思う。
[…] (追記あり) 日本の家電の「絶望的な使いづらさ」についてhttp://fum-s-tyle.com/japan-electrical-ui.html […]
このリンクの正しいURLはこちら!
http://misato-h.jp/blog/2017/07/19/aboutwashingmachine/
承認ありがとう!ほぼ同意見なんだけど、見にいらしてねん(はーと)
[…] [テーマ] – ヒアリ – 国立環境研究所 侵入生物DB – 任天堂の携帯用ゲーム機「Newニンテンドー3DS」が生産終了 – ねとらぼ – Newニンテンドー2DS LL – 任天堂 – 「シャープ製品」公式Twitterが運営停止へ 「ミニスーファミ」値踏みツイートで炎上 – ねとらぼ – スプラトゥーン2 – 任天堂 – (追記あり) 日本の家電の「絶望的な使いづらさ」について – coardware […]
「製品の機能がボタン一発で出来る方がいい」
この言葉に「持ってる機能余すことなく」と付くか「必要な機能だけ」となるかの発想だよな…
私は後者。複雑な設定とかは製品で自動判別して勝手に良いようにやってもらいたい。
固定電話機・炊飯器・空気清浄機・掃除機を購入したときにこれ思いました
とにかく致命的にダサい。ボタンだらけ。直感的にわかりづらい
どこのメーカーも似たような外見、似たような質感、似たような色。耐えがたい
本音ではどれも選びたくなかった・・・
消費者の需要とのことですが団塊世代がこの世から退場する頃には変わるんでしょうか
新参家電のお掃除ロボットだとそこそこスマートな外見も多い気もしますが・・・(操作性は不明)
iRobot社のブラーバは使うたびに感動するシンプルさと美しさを兼ね備えてます
日本のメーカーもがんばってほしいです
UI変更で個人的に印象深いのはブラザーの複合機ですかね。
以前の機種はFAX、コピー、スキャナそれぞれの機能が
いちいち独立したスイッチとして前面パネルに羅列されており、
確かに醜いものでした。新しい機種はタッチパネル化された上に
細かい操作はメニューの深層に移され、外見上とてもスマートになり、
なおかつ初めて触った人にも直感的に使いやすくなっています。
しかし、従来機種に慣れていた私はワンタッチで特定のFAXアドレスに
たどり着けなかったり、コピー設定にしていればワンタッチでコピー
出来ていたのが数タッチ必要になったりと
かなりストレスの溜まる仕様になったなぁと感じました。
ボタンを全面に並べるインターフェースは確かにデザイン最悪ですが、
その家電を日常的に使う人にとって、頻度の高いコマンドに数アクション
取られるよりはパネルをワンタッチできる方が良いです。ブラザーには
せめてFAXのワンタッチダイヤルを付けていただくよう改善要求を
お願いしましたが、今のところ特に新製品に反映はされなさそうです…。
言われていることはわからないでもないですが…薄っぺらい。
ソフトのUIやいろいろなUIもしくはデザイン全体も含めて言えることだけど、欧米はデザイン・チーフがいてその方が全体を見ているが、日本の場合は話し合いで色んな人の意見が取り入れられて、雑多になっていく気がします。その欠点に日本の企業も気がついてきていて、特に車はトヨタからプロジェクトチーフ制になっており、全体の統一感を出す努力がされている。
家電メーカーも徐々にそうなっていくのではないでしょうかね。でも、電機メーカーはこの20年の円高で余裕がなくなっているので、うまくいかないかな。
家電が使いにくいという主張には全面的に賛成ですが、日本製ソフトウェアも、大半はうんざりするほど使いにくいです。
なぜそうなのか20年以上考え、機会があれば意見してますが、一向に改善する兆しは見えません。どこかで握りつぶされてるんですね。
(余談ですが、家電やソフトウェア以外では意見後に即改善されるものが多くて驚いています。)
どうして家電やソフトウェアが改善されないのかというと、今のところ、次の結論に至っています。
1 ボケ防止。使いやすい機械やシステムばかりでは人間がバカになるから。
2 そこに価値観が置かれていない。そんなどうでもいいとこに気を使いたくない。
3 製品開発者の怨念。自分たちが苦労して作ったものだから、使う側も苦労しろ。
4 見栄張り用。使いにくいものを華麗に使って見せると、ほらかっこいい。
家電の使いづらさは私もよく感じていますね。
私が普段使っている安い家電は機能が少なくてボタンも最低限のものなのですが、実家に帰るとお金を持て余した親が高い家電を揃えていて、説明書を引っ張り出さないと機能を使いこなせる気がしません。
冷蔵庫と炊飯器は本人たちも機能を把握しておらず、触ったことすらないボタンのほうがずっと多い有様でした。
エアコンのリモコンは、風量、風向き、におい除去、パワフルのボタンが同じ大きさで並んでいるのに「におい除去」のボタンだけ単体では機能しなくて、一番下にある最も小さい「メニュー」のボタンを何度か押した後に「温度の上下ボタン」を押すとはじめて機能する仕組みで、結局「におい除去」のボタンはまったく意味のないものでした。
一番上の洗濯機たぶん日立ですよね。
はっきりいって日立とか東芝とかは使いづらい。重電のついでに家電作ってるような会社ですし。
ちなみにうちの親が定年退職するまで日立の家電工場の品質保証関連部署だったんですけど
日立製品の使い勝手の悪さを指摘すると「動けばいいんだよ」的な感じで「贅沢言うな」とか
言い出すんですよね。話しぶりからすると特に設計者にはそういう連中が多いらしく今後も
日立製品の使い勝手が向上することはないと思われます。
壊れにくいのはさすがだとは思うけど。
今使ってる洗濯機が壊れたら次はパナソニックかな。
いくら社販で安くなるからって使い勝手悪いのは要らないし。
母親が入院した時、洗濯機と電子レンジで筆者と同じ経験をしました。
特に洗濯機は取説を取り出してきてやっと動かせた状態でして、不親切を感じたものです。
取説読まない人にはどんなUIもわかりづらいと思います。
高機能(高性能ではない)になれば使い方も複雑にならざるを得ないのは当然ですよ。
パソコンとタブレット、どちらが使いやすいですか?
難しいことをやろうとすればするほどパソコンが使いやすくなりますよね?
パソコンは直感的に使えないでしょ?
高機能を使いこなすには言わば努力が必要なのです。
それが嫌なら低機能なものを選べばいいだけです!
こんなまとめありましたねえ……
https://togetter.com/li/1092238
上の方でもコメントされている方がいますが、「誰のためのデザイン?」D. A. ノーマン (著)はたいへんな良著で、図書館かどこかで一度読まれることをお勧めします。
私も、ほぼ同じデザインのTOSHIBAの洗濯機を持っているのですが、普段の全自動洗濯以外のことをしようとするとマニュアルを読みながらでもまったく使えません。ボタンのデザインもそうですが、機能のセマンティックス自体が間違っているように思います。
言いたいことはわかるけど代替案が元のUIとも比較にならないレベルのゴミで笑える。
てかむしろPCでこそ見るのがつらいブログデザインだと思うんだけど今時4:3のモニタでも使ってるんですか?
家電よりよくできてる方(笑)のゲーム業界の者ですが、
ゲームの場合、特に子どもまでターゲットに入れる場合は
「ユーザーが取説を読むと思うな」の姿勢で
UIは試行錯誤を重ねるものです。
ただ、ゲーム業界だけがどんどん神経質になって洗練されたのは
必然性とコストの問題かなと思いますが。
1つのゲームでも何をするにせよつきまとうわけですし
ゲームそのものがソフトウェアですからね。
最初の洗濯機の部分くらいですかね賛成できるの
他は日本嫌い海外大好きにしか見えません
海外もダメってのに対しては、海外ダメでもって日本駄目なのかわらないでしょとか、じゃあ日本家電が駄目なんじゃなくて家電自体が駄目なんじゃないかって話ですし
日本でもお洒落でシンプルな家電とかありますよ、大体必要機能満たせない割に大手より高かったりしますが、大体の輸入家電もそんなんですし
電子レンジはコストもありますがスイッチ形状を変更するとご老人などが理解できなくなったりする問題もあります
結局、遣いやすいだとかどうかじゃなくて自分の考えたお洒落デザインどう?
って言ってるだけですよね
ひーほー さん 2017/07/17賛同です。
この記事の作者さん
申し訳ないですが「意識高い系」外国製品特にアップル押しのように感じてしまいました。
物理スイッチの安心感はありませんか?
液晶パネルの不安定さがいやになることがあります。
テレビのリモコンは東芝ですね。
このリモコンは優秀だと思います。
使う機能と設定系とがうまく分けられている。
実家のテレビ このリモコンで東芝を選んだぐらいです。
今90代の親が難なく使えています。
東芝のAV系のUIはよくできていると感じます。
うちではDVDレコーダ BDレコーダで使っています。
シャープのテレビに買い換えましたが、わけがわからないUIです。
一発で行きたいところに行けない。
親せき宅にあるシャープのレコーダも同様です。
シャープの人は頭が悪いのか?と思うぐらいです。
私はフリーランスのデザイナーです。
日本の地方や零細のクライアントや代理店は、デザインとは自分の子供でも出来るお絵描きだと思っており、それにお金を使うと言う発想がありません。
結果全てが近所の商店のチラシレベルになります。
そして大手代理店やナショナルクライアントでも、デザイナーに求められるのは肩書きと過去の実績、そして最も重要なのは担当者と気が合う事で、デザインそのものはあまり語られません。
一番分かりやすいのが、仕事をする時に代理店と一緒にクライアントに行くと、日本のクライアントは代理店と優先的に話をします。気心が知れているのと、制作は誰でも良い出入りの業者的な扱いになるので代理店から聞いておけと言う感じになります。クライアントに会わないことさえ多々あります。
(尚、有名人はこの限りではないので日本のデザイナーは自身が有名になる事を目指します。)
しかし外資の企業と仕事をして、ヨーロッパやアメリカの本社から担当が来ている場合は、代理店担当者は繋ぎでしかなく、デザイナーと直接話したがります。そして世界的に有名な企業の上層部でもかなりのリスペクトを持ってデザイナーと話をしてくれます。そして成果物に対する評価や議論も本気でぶつけて来ます。
20年以上仕事をしていますがこれは100%毎回です。
現代の日本人は無形のもの、数値ではなく主観でしか評価できないものに対する結論付けが出来ないのだと思います。
更にここに社内政治が出てきます。
日本、特に大企業、では偉い人の機嫌を良くする事が良い物を作る事に優先されます。
開発部門の本部長が次期社長候補であったりすると「からみまセンサー」と彼の呟いたダジャレを「素晴らしすぎてデザインに組み込ませて頂きました」と言う方が、良い物を作るより担当者の出世が早くなるので、デザイナーにそう言う指示が落ちて来たりします。
それらは大抵デザインに致命的な打撃を与えるので、その時点で良い物を作ろうと言う思いは全員の心から消え、どう皆の機嫌を取り次の仕事に繋げるかに心がシフトします。
これは国民性なのでメーカーだけでなく、クリエイティブ全般で同じだと思います。
才能もセンスも欠片もない10代男女が出した楽曲が成果物のレベルに関係なく、頑張って努力しているので応援したいと言うモチベーションで売れたりします。
クリエイティブにおいて最終成果物の出来に関わらず、過程の評価で売れると言うのは世界でも日本独特の現象です。
なので世界において日本で評判の若い芸能人の楽曲が、奇異と言う事以外で、売れる事は絶対にありません。
でも日本ではそれで良いのです。
その辺りも鑑みると、このヒドいUIは開発部と宣伝部、製造部門など全員の納得を得た完璧な、そして絶望的に無駄な、社内調整や仲の良い代理店が手配した立派な経歴を持ったセンスのかけらもない、または希望を失った、デザイナーなどが作り上げた、誰もが納得できる過程を経た、という究極に日本的なデザインなのではないでしょうか。
全く同感です。
私も、常々、ユーザーインターフェースの使い勝手の悪さにストレスを感じておりました。数年前から、現状を変えるしかないと考え、ブログで情報発信をするとともに、当該メーカーにも申し入れをしています。
ただ、こういったユーザーインターフェースについて無頓着な人も多く、これまで、孤軍奮闘しているという思いでしたが、このサイトを発見して、非常に勇気づけられました。
【以下のブログ記事をご笑覧下さい】
エレベータの開閉ボタン
http://laweditor.blog.fc2.com/blog-entry-49.html
リモコンと文字の対応
http://laweditor.blog.fc2.com/blog-entry-144.html
ブログへにリンクしていただいたのですね。ありがとうございます。
クソリプに対する煽りのセンスが秀逸だなと思いました
アメリカでエアコン関係のソフト開発をしていますが、ユーザーインターフェースがダメだった一番の原因はハード屋がソフトも書いていた事。当然ユーザーインターフェースもハード屋が提案してました。ハード屋が8ビットコントローラ(超安い)に固執していたり・・・
現在、UIはアンドロイド、コントロールはARM系に変更。アンドロイドだとUIに強いエンジニアが多いので、探すのも楽です。
思ったこと。
「この筆者、うっっっっざ。」
以上
まさにこれこそこの記事で指摘されている日本人の悪癖だな
かの山本七平はこれを「空体語」と名付けた
ほーむれす君、俺は君が「うっざ!」いよ。
ところでこの記事をほぼ全面的に支持する俺が一点だけ言いたいのはソフトウェアについて。
確かにボタンを減らす力はある反面、画面遷移より物理的ボタンの方が分かりやすい場合も往往にしてある。
「ダイアルが今どの状態にあるか」「どういう機能が選択肢としてあるのか」が常に直感的に表示される利点がある。
特に家電においてはわざわざ使う度に「あれ、次の画面ではどこにボタンが出るんだっけ?」なんて考えたくないんだよね。
彼方さんへ:
こちらのコメントに対しても似たような返事をしましたが、家電は人間の狭い生活空間における移動の流れの中で断続的に(けど頻繁に)触られる存在、という特徴があると思います。
この理由から、おっしゃるようにタッチスクリーン(GUI)ではなく物理的なパーツが適しています。
さらに家電は物体を扱う以上、コンピュータや通信機器などと違って必然的に用途が専門化します。というわけで操作パーツはシンプルに少なくていいはずなんですが、国内大手の家電は"多すぎ"です。
本記事の文意が紛らわしかったと思いますが、その操作パーツの多さはGUIにしてもいいほどだと言いたかったわけです。