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スマホのような小さいディスプレイだと「長文全体から意味を汲み取る能力」が大幅に低下するためです(それでもスマホの閲覧を意識して改行を多く入れています)。
追記を3つ行いました。
– 追記1 2017/07/15
– 追記2 2017/07/19
– 追記3 2021/01/20
—以下本文—
ふと思い立ち、「国内家電は使いやすいのか」を念頭に入れ、その視点を意識しながら家電を使い、この一年間を過ごしてみました。なぜそれをするキッカケになったのかと言うと、実家に帰省した際に、「洗濯機」の使い方がわからず挫折したからです。
ちなみに僕は今までにMacもWindowsもLinuxも使ってきており、プログラミングもやってきているので、
平均以上の「マシン」への打たれ強さはある方だと思います。
その人間が、たかだか洗濯機を回すことすらパパッとできなかった事実は、僕の中では静かな衝撃だったわけです。
何が問題だったんでしょうか?
僕が使ってきた8つの家電のユーザーインターフェイス(操作部分)をこの記事で分析し、掘り下げてみようと思います。
(少し長めなのでお時間のあるときにでも。)
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1.実家の高機能洗濯機
では実家の洗濯機から見ていきます。
こちらがその挫折した洗濯機の操作パネル。
自分で洗濯しようと思い、左側の水量ボタンなどをいじり始めましたが、
あっちのボタンを押すとこっちの設定まで変わってしまい、よく分からないのでとりあえず中央の「スタートボタン」を押しますが、警告音が鳴ってしまい、スタートしてくれません。
設定をリセットしようにも「リセット」ボタンも「切」ボタンも見当たらないのです。
つまりスタート地点に戻ることもできず、ただ設定ボタンを押してみるしかありませんでした。
3,4分間トライし続けたものの、結局回し始めることができず、 あきらめて親にバトンタッチしました。笑
いま眺めてみても「たぶんこういう手順だったんだろう」というイメージが浮かび上がってきません。
ボタンがたくさん並びすぎていて、
どういう手順で設定していけばいいのか、どれが最低限必要な設定なのかが全くわからないのです。
次の例を見てみましょう。
2.自宅で使っている洗濯機
学生時代に一人暮らしを始めた時からずっと使っている洗濯機です。
この洗濯機は持ち主もビックリするほどツッコミどころがたくさんありました。
その操作部分がこちら。
この洗濯機もやはりボタン類が均等に並びすぎています。
ボタンの色に着目すると、「コース」「Tシャツ/Yシャツ」のボタンのみ黒で、他は白色になっていますよね?
この色の違いが何を意味しているのかが全くわかりません。
必ず押さないといけないボタンかと思いましたが、「Tシャツ/Yシャツ」は使ったことがありませんし、「入」→「スタート」を押せばあとは標準コースで回り出すので「コース」ボタンも必ずしも押す必要はありません。
次ですが、下側のボタンがその上のラベルやランプと対応していることは、ぱっと見でなんとなくわかります。
しかしよく見ると、「予約」ボタンの上に「洗剤量」の表記があるんですよ。
また、Tシャツラベルの上に「風乾燥」や「樽洗浄」が表記されていますが、 この2つは左の「コース」ボタンで設定するものであって、
真下にある「Tシャツ/Yシャツ」ボタンとは関係ありません。
要するにボタンとラベルの上下の対応がおかしいんです。
スペースがないからとりあえずここに持ってきた、とでも言わんばかりのデザインです。
また、ボタン類の左側には機能を表すような文字が記してあります。
「濃縮洗浄」「からみまセンサー」「温度センサー」「槽乾燥」の4つですが、これを買った人に訴え続ける意味はあるんでしょうか。
「からみまセンサー」機能を発動するボタンは見当たりませんし、温度センサーもどう役立っているのか皆目見当がつきません。
こういった言葉をカタログや製品パッケージでアピールするならともかく、普段使うボタンの隣で目立たせる必要はあるようには思えません。
ダジャレで紐付けるネームセンスから想像するに、デザインノウハウに難のあるオジサンたちが安易な判断をしてしまっているんじゃないでしょうか。
この洗濯機はツッコミどころがまだまだありますが、
キリがないので次行きます。
3.スーパーの高機能電子レンジ
続いて自宅以外で使った家電、第2弾です。
もちろんこの電子レンジも(電卓の如く)たくさんのボタンが整列しています。
スーパーの休憩コーナーに設置してある電子レンジなんですが、
実家の洗濯機と同様、温めスタートをするまでに困惑させられました。3,4分あちこちボタンを押していたと思います。
この電子レンジもちゃんと設定をしないとスタートできない仕様なんです(と思い込んでいました)。
かといってどういう手順で進めていけばいいのか、そのボタンの並び方からイメージするのは困難です。
ディスプレイでは何の設定が足りないのかわからないですし、こまごましていてじっくり見る気にもなれません。
その後温めることはできましたが、どういう手順だったかもう覚えていません。
数十秒間温めるために神経がすり減らされていることがまったくもって意味不明でした。
セキュリティロックを解除するわけでもあるまいし、、、(後日わかりましたが、スタートボタンを押すだけで温めることができました。自分の思い込みに問題があると思われるかもしれませんが、そのような勘違いを誘発すること自体、デザインに問題がある証拠です。)
それに、右上の「お弁当あたため」がやたら目立ちます。
これは
・ボタン類の一番上に位置すること
・赤色になっていること
の2つのデザインの効果だと思います。
しかしその目立つボタンは「お弁当」という特段、使用頻度の多いわけではない機能が割り当てられてしまっています。
この電子レンジは操作の流れをとことん無視したようなデザインになっており、
取説を頭にインプットしておくことを要求しているようにすら感じますね。
いやむしろ取説データを保存したAIロボットが使うことを想定して設計された
「ロボットが支配する未来を先取りしすぎた電子レンジ」だったんじゃ、、、
という冗談はさておき、
1プッシュで全て自動で調節して温めてくれる、というのがハイテクの正しい方向性じゃないんですかね?
簡単な代替案を作ってみました。
左の青い文字がボタンで、
坂を転がるように設定していけばスタートボタンにたどり着きます。
いや待ってください。
このレンジは多機能すぎるので、そもそもタッチスクリーンに統一した方がいいかもしれません。
全機能をボタンだけでなんとかしようとすること自体が無謀です。
機能を減らすか、ソフトウェアにもっと頼るべきだと思いますね。
4.自宅のシンプルな電子レンジ
続いて僕が毎日のように使っている電子レンジです。
このレンジはいわゆる「ローエンドモデル」で、タイマーの設定と温めモードの切り替えしかないシンプルなものです。
シンプルすぎるので使い方に迷うことは全くないんですが、1つ気になる部分があります。
2択しかないモードに対して、ダイヤルを使っているのは明らかに割にあっていません。
ここはスイッチで必要十分だと思います。
【追記】
コメントへの返事にも書きましたが、このデザイン仕様の一番現実的な理由は「製造コスト」にあると思われます。バタフライスイッチ案が適切かどうかはさておいても、2択しかないモードにたいしてダイヤルUIを当てはめるのはUIデザイン的には間違いなく理にかなっていませんが、
コストをケチる必要のなるローエンドモデルであれば仕方ないでしょう。
5.高機能エアコンのリモコン
実家の高機能なエアコンのリモコンです。
もはや定石ですが、電卓のような並びっぷりです。
1プッシュで部屋を快適にしてくれさえすればそれでいいのに、なぜか漢字まみれのボタンとの睨めっこを要求されます。
6.トイレのコントロールパネル
同じく実家にある、トイレのコントロールパネルです。
毎回使う「大・小」の流すボタンよりも「おしり・ビデ・停止」ボタンの方が大きくデザインされているのが気になります。
ボタンのサイズだけでなく、中央に配置されていることから「おしり・ビデ・停止」ボタンがあたかも主役の座についているかのようなレイアウトです。
さらに赤色になっている「停止」ボタンが、
「私はこのトイレで最も重要な存在なのだ。」
と主張しています。
デザインが便器の本質から遠のいて行っているような気がしませんか?
目指す先は「尿意の停止」でしょうか。
便器の意味!
そして下の方に細々と配置されているボタン類も、普段触るものではないことを考えれば「見えすぎ」です。
というわけで簡単に代替案を作ってみました。
細かい機能設定はすべて上部のカバー内に格納で、
「流す」を中央にドーンと配置しました。大か小かは人間じゃなくて機械に判断させればいいと思います。
「パワー脱臭」は「とりあえず流してから」判断すればいいと思ったので流すボタンの下に。
電池交換はバッテリーアイコンを赤色で点滅させればいいんじゃないですかね?
「洗浄の強さ」は「止」から各ボタンに向かって光るメーターを取り入れ、「おしり・ビデ」ボタンを押すたびに強くなっていくようにすればいいでしょう。
そして「止」ボタンで一発停止です。
7.サーキュレーター
お次は僕が使っている安物サーキュレーター。 このサーキュレーターはすごくシンプルですが、すごく使いづらいです。
その原因部分がこちら。
使いづらさの温床は、羽の下に隠れぎみな位置にあること、
そして首ふりの有無それぞれ3段階(計6段階)が1つのダイヤルにまとめられてしまっていることです。
例えば、現在の設定が「首ふりOFFの1」とします。
風量1を維持したまま「首ふりON」にしたい場合は、
ダイヤルを回して「2→3→首ふり1」か「首ふり3→首ふり2→首ふり1」と巡回しなければならないのです。
巡回の途中で風量が強くなったり、首が回りだしたりするのは結構なストレスです。
しかも1つの目的地に対して、2つの経路があることが余計な迷いを生じさせます。
このケースでは、単純に横スライダーと首ふりボタンに役割を分離すべきだったと思います。
8.祖父母が使っていた電気ストーブ
最後は電気ストーブです。
祖父母が洗面所用に使っていた電気ストーブですが、「いかに使いづらいか」を如実に表す良い例でもあります。
なぜなら祖父母がマジックペンとガムテープでその電気ストーブをアレンジしていたからです。笑
その写真がこちら。(いい写真が残っていませんでした)
その後僕が使い始めたときにガムテープを剥がしてしまったため、残念ながらそれは写っていません。
絵で再現するとこんな感じで、ガムテープを中央で折り、ツマミとして機能させていました。
このストーブはてっぺんのトンガリ部分を回して使うシンプルなタイプですが、
その回す部分がツルツルしていて回しづらいのです。
(冬は手がカサカサで滑りやすいのでなおさら)
もう1つの欠点は「そのツマミが今どの位置にあるのか」が視覚的に分かりづらいことです。
・回転ツマミの照準が数ミリのデッパリのみ(色もなし)
・強さを表す印字が「1000w」「600w」という表記
・印字そのものが小さくて黒い
などなど。
そこで祖父母はその下に「高・中・切」とマジックで書き足したのです。
僕の祖父母の方が企業人よりデザインセンスあるかもしれません。
このストーブはUIデザインとしては最悪で、しかも暖房器具なのに本体カラーがなぜか寒色の青と、
分析すればするほど理解できなくなってきます。
(※ このストーブは小泉成器とサクラクレパスとのコラボ商品で、クーピーペンシル風のデザイン・カラーリングを意図したものだそうです。つまり、青色は多色展開のひとつにすぎないため、問題点ではありませんでした。コメントにてご指摘いただきました。)
絶望的なまでに使いづらい
高機能になるとボタンを羅列するレイアウトが多いですよね。
この事実から、1つの機能を持つ1つのボタンを「個性」と見ると、
日本人は「個性をつぶした画一化のデザイン」をする傾向にあると言えます。
そして、
「選択肢が多いほど心理的に負担がかかる」という事実がありますが、
これら酷いUIデザインの家電は、僕たちから思考のエネルギーを余分に、そして知らず知らずのうちに奪っていきます。
それも毎日です。
これは誇張しているのではなく、普段意識しない部分に着目しているだけです。
悪意がないにしても、ここまでUIデザインに無頓着なのは罪とさえ思います。
ちなみにUIデザインに問題のある製品は、全体的な見た目もダサくなる可能性が高いです。
なぜなら全体の調和が崩れるからです。
洗濯機に挫折したと言いましたが、説明書を読みながらやればちゃんと使えると思います。
しかしそれが家電のあるべき姿なんでしょうか?
洗濯や調理、室温の調整など、本来の目的を円滑に達成させることが家電の目標だと思うんですが、
日本の家電はそれとはほど遠いところにあるように感じます。
それに対し、欧州には秩序を保った美しいUIデザインの洗濯機が存在します。
このような家電が日本の大手メーカーから登場するのはイメージしづらくないですか?
この製品をデザインをする人たちが「からみまセンサー」を製品に(しかも前面に)貼り付けると思いますか?
国内メーカー、結集!
この記事で取り上げた製品のメーカーは
東芝、パナソニック、三菱エレクトリック、日立、ヤマゼン、アイリスオーヤマといった誰もが知る大企業ばかりです。
(見事にかぶっていませんでした!)
1つや2つの小規模メーカーだけならともかく、国内メーカー総出で使いづらいモノを生み出し続けているのはさすがに異常ではないでしょうか。
文字通り「絶望的」です。
表向きは便利さ・快適さの提供を演出していますが、消費者からお金を取ったあとに提供しているのは煩わしさそのものです。
なぜここまで酷いデザインに帰着するんでしょうか?
僕が一つ思うのが
「ソフトウェアを軽視したハードウェア優先の設計」です。
iPhoneが携帯電話からボタンを取り払ったように、ソフトウェアには物理ボタンを減らす力があります。
ソフトウェアを中心に設計すれば、物理ボタンは最小限で済むはずです。
なぜなら、Aというボタンに”どのタイミングで・どんな押され方で・どんな機能を発動させるか”をソフトウェアなら判断と指示ができるからです。
タッチスクリーンであれば、ボタンそのものを自在に変化させられます。
しかしハードから設計してしまうと、一つ一つの機能に物理ボタンを割り当てることになり、先ほどの高機能な電子レンジのように、ボタンまみれの外見になってしまうのではないでしょうか。
少なくとも日本人は目に見えないソフトウェアを軽視するという事実はあります。
しかしこの見方はタッチスクリーンでのUIの問題を説明できませんし、
安物サーキュレーターのようなごく単純なデザインの説明には使えません。
つまりソフトウェア云々以前の話で、もっと根本的な問題があるはずです。
使う側にも問題がある
問題は僕らユーザー側にもあるように思います。
消費者が家電の使い心地に対してもう少し厳しい目を持っていたら、
使いづらい製品はここまで多く生き残れないと思いますし、この低いUIデザインレベルが「当たり前のように」蔓延したりしないはずだからです。
こういうヒドいものがたくさん生き残っているということは、ちゃんと買われているということで、
使う側がこのヒドさを認めていることに他ならないと思うわけです。
メイド・イン・ジャパンを信仰する大人もいたりしますが、
それはバブル期の栄光を引きずっているのではないでしょうか?
そして更に突き詰めると、作り手も「家電の消費者」そのもので、
「低いデザインレベルを見て育ってきた」ということになります。
となるとこれはもう悪循環の成立であり、企業レベルの問題ではなく、社会レベルの問題じゃないかということになってきます。
いや〜、恐ろしくなってきましたよ僕は!
このデザイン的な使いづらさは取り沙汰されないだけで、かなり深刻な問題だと思います。
というより話題にならないからこそ深刻なのでは?
作り手にとっても使い手にとっても当たり前すぎて、もう話題にする価値すらないのかもしれません。
例えるなら、
「ねえ、なんでみんなLINE使ってんの?」
「は?いまさら何言ってんのお前」
みたいな感じでしょうか。
もしくは、死ぬときに当たり前のように墓石を建てるようなものでしょうか。
気付いたらそこにある、かけがえのない常識です。
ある物理学者は「文化」についてこう言っています。
『「文化」とは、人間が獲得し、何世代にもわたって受け継いできた知識をひとまとめに表した言葉だ。群れを成して泳いだほうがいいことを個々の魚が発見する必要がないのも、仲間といっしょに狩りをすることをオオカミが知っているのも、「文化」のおかげだ。』
これから考えられることは、
国内家電の使いづらさ(=日本人のデザイン感覚・美的感覚の低さ)は近代日本の「文化」そのものだということです。
『日本人各々のデザイン感覚が育まれることがないのは「文化」のおかげだ』
って解釈できますよね(笑)
「なんでこんな使いづらい洗濯機使ってんの?」
と聞いたところで、相手の頭上に「?」マークが浮かび上がるのがオチです。
むしろそんな質問をした側が「おかしい」と思われかねません。
(それ以前に、使いやすい洗濯機がこの国には存在しないのでは?)
かの福沢諭吉は有名な『学問のすすめ』で、「国民」と「政府」の関係についてこう述べています。
『こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり』
前に述べた「使う側にも問題がある」というのは、この理のことを指しているわけです。
この論理はなかなか腑に落ちないとは思いますが、要は「類は友を呼ぶ」ようなもので、
政治だろうが家電だろうが、それらのクオリティを生み出すのは「サービス提供者」だけでなく「サービス利用者」にもあるということです。
言い換えれば持ちつ持たれつの関係で、お互いがお互いをがんじがらめにしてしまっている状態です(これはAmazonと楽天の最大の違いとも言われています。つまり、Amazonの顧客の方が質が高い)。
特に多くの大手国内メーカーの経営者が、問題を潰したい起業家ではなく、義務的なサラリーマン上がりであれば、この論理はなおさら効力を発揮するはずです。
この「絶望的な使いづらさ」は、自分たち日本国民が「みずから招く災い」というわけです。
世代を超えて受け継がれ、各々に根付いてしまっているのであれば疑問すら湧かないのが普通であって、いわゆる「消費者の頭の悪さ」を指摘したいとは思っていません。
この厳しい状況は「デザインの教育を徹底する」程度では解決不能な域に達していると思います。
例えるなら「真夏のアスファルトをバケツの水で冷やそうとする」ようなもので、文化にことごとく影響を与えるような「歴史的な転換点」のようなものが必要なレベルではないでしょうか。
さらに言えば、この国はG7という先進国トップ7に君臨する国です。デザインよりも安定性がとりあえず追求される高度経済成長のような時代はとうの昔に終わりました。
高機能性も、もともと専門性の高い「家電」という存在には詰め込まれすぎているほど発展しています。しかし国内メーカーの多くは「使い心地」という次のステップへいっこうに進む気配がありません。
iPhoneやダイソン掃除機のように、海の向こうから黒船がやってくる度に日本の使いづらい製品は淘汰されるかもしれません。
軸のない文化やアイデンティティーは駆逐される運命なんでしょうか。
ただ、GreenFanなどで有名な「BALMUDA」のようにシンプルで美しい家電を作る、熱意のある若手メーカー(2003年設立)も出てきているので、そういったメーカーには期待したいです。
しかしそれでもなお、老舗の大手メーカーは使いづらい製品を生み出し続け、消費者は文句も言わずに買い続けるような気がします。
(※ 下部のコメント欄も議論で白熱しています。ぜひご覧ください。)
追記1 2017/07/15
何が引き金になったのかは分かりませんが、記事公開から1年以上経って、Twitterのトレンド「日本の家電」の起爆剤になったようです。
(一時的なサーバーの負荷で何度再読み込みしてもページを表示できない状態が何時間も続きました。)
「海外家電との十分な比較がないのに『日本の家電は〜』と言えるのか」という反論が散見されますが、たとえ欧米の家電の多くが日本の家電と同じように使いづらかったとしても、「日本の家電の平均的な使いづらいさ」が無かったことになるわけではありません。
さらに国内家電のUIが使いづらいものばかりであることは「家電のあるべき姿」や「人間の生物学的な特性」の2点を問いかけて分析すれば十分見出すことが可能で、海外家電と比較しないと見出せないことではありません。
このようなことから、本記事のタイトルから「日本」を省く必要はないと思います。
また家電に限らず、日々日本製のUI(ヤフオク、求人サイト、業務用プリンタ、デジカメ、公共機器etc)を観察していれば、日本人集団が生み出すUIデザインがボタンまみれで、平均的に煩わしいことは(本記事のように)少し指摘すれば多くの人が簡単に気づけてしまうほどの度合いの強さです。
しかしこれに対し同じ日本製でも、任天堂をはじめとするゲーム業界はもともとUIデザインに神経質なのもあって、家電などと比べてUIデザインはよくできている方ではないでしょうか(ニンテンドースイッチは良い例で、ソニーもPSX向けに開発したクロスメディアバーでグッドデザイン賞やエミー賞を受賞しています)。
ついでに言えば、たかが趣味的に書いて無料公開している一記事のためにダイソン以外の欧米の家電と一つ一つ比較するほどの労力を注ぐ気も要求される筋合いもありませんが、
しかしちゃんと「代替案」をテキトーながらも自分でデザインして提示しているので、意見としては真っ当な姿勢だと筆者は考えております。
また、当記事で意見を述べることの意義は「社会の思考に意味のある刺激を加える」ことであって、「どこの誰もが読んでも納得・同意できる隙のない100%完璧な考察をする」ことではありません。
(たかが一万字程度のブログ記事では物理的に実現できませんし、そんな人間が世の中に存在するとも思えません。)
「ダイヤルがなんちゃら」「代替案が〜」という細々した部分は実際はどうでもよく、そこが当記事の本当の論点ではありません。
意見を述べることそれ自体に不満タラタラな反応を示す方も多く散見されるので、
ついでに書籍『天才と異才の日本科学史』にある一部分を引用しておきましょう。
北里(柴三郎)は報告者であるペーケルハーリング博士を国際雑誌で批判する。しかし、それがきっかけで、二人は親友になった。
日本人同士となるとこうはいかない。自分の研究を批判されると、すぐに「面子をつぶされた」とか、「恥をかかされた」と感じる。日本人は冷静客観的に科学的議論ができず、死ぬまで闘う。(中略)
論理学は明治時代西周(にしあまね)の翻訳により誕生した言葉であり、アリストテレス以来、西洋の伝統的な知恵である。
日本人には全く無縁であった上に、論理学に基づいて討論したことがないから、論理学も討論もその価値を実感したことがなく尊重もできない。したがって、日本では科学者も論理的に討論する事が苦手だ。私たちは日本独特のウェットな人間関係の中で育ち、科学的討論の場でも感情的になったりする。
これは自分たち日本人のデザイン・美的センスの欠如以上に致命的な弱点だと僕は考えています(美的センスは日本民族はもともと持っているものだと思いますが)。
なぜなら前向きな議論・討論ができない集団は自分たちで軌道修正ができず、世の中の変化に柔軟に対応できず、結果、終末へ向かって歩みやすくなってしまうからです。
さらに、意見が出てこないということは、思考に刺激を及ぼす(思考のレベルを高める)機会の損失を招き続けます。
思考に刺激が少ない「画一化」が支配するところでは、その集団の知性・判断力・精神年齢は相対的に低下し続けることになります。
そして「愚民」の度合いが強くなるほど、「苛き政府」の度合いも強くなっていきます。
かくして「終末への道」は不動のものとなるわけです。
(ちなみに日本人一人当たりのGDPはついに韓国に抜かれ、成長率は先進国最下位にまで転落しました。)
惑星から気候、動植物、自分たちの持つ性格に至るまで「多様性のみ」で成り立っているこの世界において、「他と同じであることこそ美徳」という価値観は、自然の在り方に反します。
ところで江戸末期、なぜペリー提督の圧力がかかるまで開国できなかったのでしょうか?
敗戦後、なぜGHQによる立て直しのメスを入れられるハメになったのでしょうか?
なぜ現代日本人は未だに、失われた20年の経済不況を25年前後も立て直せないままなのでしょうか?
議論・意見を尊重できず、物事をうまく評価・考察できない日本人集団は、自分たちで方向転換する能力を持っていないのです。
外国人に軌道修正してもらったとしてもその場しのぎに過ぎず、自分たちの心の根元の問題までは直せていないため、また同じことを繰り返す。
明治の開国からもう150年。
あえて強めの言い方をしますが、
日本人はそろそろ、己らの心の内奥に根付く「辺境の島国で育まれた時代遅れで有害な精神主義」という"真の弱点"を自覚せねばなりません。
現代日本人の心にはまだチョンマゲが乗っかり、フンドシを履いているのです。
格好の事例として当記事に対する反応がまさにそれで、意見を述べると男女関係なく
「まあ!なんてハシタナイことをっ」
とでも言うかのように意見者を力づく(不満・怒り・憎しみの感情)で片付けようとする態度がよく見受けられます。
ちなみに筆者はその「越えてはいけない壁」を承知で、あえてブチ破っております。
本当に有害なのは意見ではなく、その壁です。
その不合理な精神主義をなんとかしない限り、自殺や過労死もいつまで経っても歯止めがかからないのではないでしょうか。
歴史的なリセットという点でも自殺・過労死という点でも、その不合理な精神主義は「無駄に死者を生み出す精神主義」なんです。
自分は預言者でもなんでもありませんが、
"因果"が支配する自然の法則下においては、そのような誤った態度のツケは必ず、自分たちのところへ回ってくるでしょう。
さて、コメント欄にて丁寧なご意見をたくさんいただき、本当にありがとうございます。たぶん僕が一番勉強になっているかもしれませんね。
実際にプロダクト作りに関わっている方々にも刺激になったようで、それだけでも本記事を書いた甲斐がありますし、非常に有意義だと感じています。
いただいたコメント数が多すぎるので、追記にて返事とさせていただきます。
「ここのブログUIが使いづらい」という皮肉を含む反応もいただきますが、
ブログ運営は本業ではありませんしウェブプログラミングも達者ではないので、黙認済みの「手抜き」です。特に筆者の使用機器はもっぱらタブレットとパソコンで、スマホからは滅多に当ブログを見ないので、スマホには余計に気が回っていないことは、はっきり述べておきます(いつか気が向いたら手入れする予定)。
ちなみに5インチ程度のスクリーンサイズは、情報リテラシーの観点では脆弱な側面があります。
一度に表示できる絶対的な情報量が、致命的なほどに少ないからです。
それはさておき、あとは当記事を踏み台に、真剣に反論したい人が海外家電との比較や、より良質なデザイン案をともなった記事を書くなどして不特定多数へ発信すればいいのではないでしょうか。
コメント欄にて丁寧な意見をいただけるのも個人的にはありがたいわけですが、長文に向かず画像なども使えないコメント欄で議論するのは不毛だと感じました(相手が作り手の立場の人ではないのであれば特に)。
筆者個人に向かっての意見よりも、ブログや書籍を通しての意見の方がより生産的だと思います。
特に作り手の立場の方であれば、1記事2記事分くらいの考察はそう難しいことではないはずです。
(ツイートやコメントでちょろっと反論するのはスキル的にも精神的にも圧倒的に楽なもので、1万字に対して数百字なんてのは対等な反論・議論になりません。)
そのような意気込みのある人がいるのであれば、反論かどうかに関係なく筆者としては嬉しい限りです。
追記2 2017/07/19
さらに素敵なご意見、情報提供をいただけて筆者も感服しています。
当記事では問題点ばかり挙げているせいか「筆者は日本人嫌い」という印象を一部の人に与えてしまっているようです。
しかし僕は日本古来の「美」「高度な精神性」に強く惹かれており、散歩がてら神社の様式を観察しに行くほどで、
日本語が持つ潜在的な柔軟性や、西洋のサイコロにはない日本のサイコロの目が持つ自然美などの素晴らしさも認識しており、また千利休といった偉人たちの思想にも感銘を受けるなど、「日本人嫌い」どころかむしろ「日本通」なところがあります。
(ちなみにiPadのロックスクリーンは日本庭園です。)
日本には優れた文化、食事、自然などがあり、外人が持っていない精妙な感性と精微な技術力を持ち、時代問わず国際的に活躍する幾多の個人も輩出するなど、日本人であることに誇りを持っています。
日本人は個人としての能力は比較的高いとも思いますが、当記事の後半で指摘しているのは「集団としての弱点」です。
また、デザイン・美的センスの欠如は「明治以後の近代日本」、意見を尊重できない点は「島国全体が村である日本」と、弱点といっても出所が違うので、決して日本人全体を否定・批判しているわけではありません。
"意見"というのは「仲間・協力関係」だからこそなされるものであって、「敵対視・ケンカ腰」でなされるものでもないと僕は考えています。
もし本当に日本人が大嫌いであれば代替案は示さずに「ただの批判」で済ませるどころか、当記事を書くことすらせずに「見て見ぬフリ」をします。
問題点指摘と提案をしてしまったら、相手の役に立ってしまうからです。
(ちなみに国内マスメディアの得意技は「見て見ぬフリ」のようです。笑)
さらに言えば、「負の感情」は理性を屈服させてしまうので、感情的になっている時点で「議論・討論」は成り立たないはずです。
さて、コメントにて特に興味深いと感じた情報を一部ここで挙げさせていただきたいと思います。
まずご紹介いただいたこちらのTogetterのまとめページ「ゲームプランナーから家電業界のプランナーに転身した友人の感じたこと」。
そしてフリーランスのデザイナーさんの現場でのお話を全文ここで引用させていただきます。
私はフリーランスのデザイナーです。
日本の地方や零細のクライアントや代理店は、デザインとは自分の子供でも出来るお絵描きだと思っており、それにお金を使うと言う発想がありません。
結果全てが近所の商店のチラシレベルになります。
そして大手代理店やナショナルクライアントでも、デザイナーに求められるのは肩書きと過去の実績、そして最も重要なのは担当者と気が合う事で、デザインそのものはあまり語られません。
一番分かりやすいのが、仕事をする時に代理店と一緒にクライアントに行くと、日本のクライアントは代理店と優先的に話をします。気心が知れているのと、制作は誰でも良い出入りの業者的な扱いになるので代理店から聞いておけと言う感じになります。クライアントに会わないことさえ多々あります。
(尚、有名人はこの限りではないので日本のデザイナーは自身が有名になる事を目指します。)
しかし外資の企業と仕事をして、ヨーロッパやアメリカの本社から担当が来ている場合は、代理店担当者は繋ぎでしかなく、デザイナーと直接話したがります。そして世界的に有名な企業の上層部でもかなりのリスペクトを持ってデザイナーと話をしてくれます。そして成果物に対する評価や議論も本気でぶつけて来ます。
20年以上仕事をしていますがこれは100%毎回です。
現代の日本人は無形のもの、数値ではなく主観でしか評価できないものに対する結論付けが出来ないのだと思います。
更にここに社内政治が出てきます。
日本、特に大企業、では偉い人の機嫌を良くする事が良い物を作る事に優先されます。
開発部門の本部長が次期社長候補であったりすると「からみまセンサー」と彼の呟いたダジャレを「素晴らしすぎてデザインに組み込ませて頂きました」と言う方が、良い物を作るより担当者の出世が早くなるので、デザイナーにそう言う指示が落ちて来たりします。
それらは大抵デザインに致命的な打撃を与えるので、その時点で良い物を作ろうと言う思いは全員の心から消え、どう皆の機嫌を取り次の仕事に繋げるかに心がシフトします。
これは国民性なのでメーカーだけでなく、クリエイティブ全般で同じだと思います。
才能もセンスも欠片もない10代男女が出した楽曲が成果物のレベルに関係なく、頑張って努力しているので応援したいと言うモチベーションで売れたりします。
クリエイティブにおいて最終成果物の出来に関わらず、過程の評価で売れると言うのは世界でも日本独特の現象です。
なので世界において日本で評判の若い芸能人の楽曲が、奇異と言う事以外で、売れる事は絶対にありません。
でも日本ではそれで良いのです。
その辺りも鑑みると、このヒドいUIは開発部と宣伝部、製造部門など全員の納得を得た完璧な、そして絶望的に無駄な、社内調整や仲の良い代理店が手配した立派な経歴を持ったセンスのかけらもない、または希望を失った、デザイナーなどが作り上げた、誰もが納得できる過程を経た、という究極に日本的なデザインなのではないでしょうか。
このように広い視点で、なおかつ高い洞察力から来る意見が日本語で出てくるのはかなり貴重なことだと思います。
さて、このデザイナーさんの経験談・ご意見・お考えを引き出すことができたのも、当記事の大きな成果の一つでしょうし、同じ現代日本人として、客観性をともない優れた洞察力をもつデザイナーさんがいらっしゃることを確認できると、本当に嬉しくなります。
(お偉いさん方に疑問を抱く芸大生さんや、URLを貼ってくださる方々などに対しても同様です。)
意見や議論を当たり前のように尊重し、こういった意見が当たり前のようにあちこちで出るような日本社会がいつか実現されることを願っています。
(なお、コメントではスパム対策でURL付きは「承認待ち」となってしまいます。ご不便おかけしますが、気づき次第承認させていただきます。)
みなさま、本当にありがとうございます!
追記3 2021/01/20
炎上から3年半たち今さらですが、2021年という今でもコメントをいただくので追記することにしました。ソフトウェアやタッチスクリーンについて異論反論が意外と根強く出てきたのは、正直驚きました。
コメント1:2017/5/10「安易にソフトで解決する案は、有効なように見えて実は逃避的であると思います」
コメント2:2017/7/14「あなたはソフトウェア万能主義的に見えました」
コメント3:2017/11/19「確かにボタンを減らす力はある反面、画面遷移より物理的ボタンの方が分かりやすい場合も往往にしてある」
コメント4:2020/7/24「物理スイッチの安心感はありませんか?液晶パネルの不安定さがいやになることがあります」
僕は本文にて、「ソフトウェアを中心に設計すれば、物理ボタンは最小限で済むはず」
「タッチスクリーンであれば、ボタンそのものを自在に変化させられます」
「ハードから設計してしまうと、一つ一つの機能に物理ボタンを割り当てることになり、先ほどの高機能な電子レンジのように、ボタンまみれの外見になってしまう」と述べました。
しかし、何もスマホやパソコン、あるいは ATM のような画面遷移ばかりの複雑な GUI をイメージして言ったのではありません。
下の画像のように、ごくごくシンプルな GUI を少ない物理インターフェイスと組み合わせるデザインも可能なんです。
こうすることによって、ソフトウェアとハードウェアそれぞれの長所を組み合わせることができます。つまり、シンプルな使い心地とクリーンな見た目を維持しつつ、高機能化を実現できるということです。
ところが日本メーカーはそのような有機的デザインが苦手なため、この炊飯器のように、やたらゴチャゴチャしたものを生み出してしまうのです。
見にくい(醜い)と思いませんか?
最後に、Quoraにて2020年1月、筆者が日本メーカーの問題を多面的に解説した回答をしましたので、興味のある方はぜひ一読してみてください。
なぜ日本の携帯電話メーカーはAndroidOSに固執し、独自OSを各社合同で作り世界の携帯電話シェアを奪いに行かないのでしょうか?iOSやAndroidOSだけではつまらないと思います。
当記事よりもはるかに長文ですが、識者たちの見解も多数引用し、Quoraユーザーからも良い評価をいただいています。今の日本が、先進国としてデザイン面に著しく弱いのは間違いありません。
アウディ車のデザインに携わり、バルミューダのアドバイザーでもある工業デザイナー、和田智さんもおっしゃっています。
「日本人は"ない"ことを怖がるんですよ。エディトリアルデザインでもそうだし、クルマのデザインでも、例えばボディサイドの余白が怖いとかね。日本メーカーは、とくに経営陣は、その余白に耐えられないんです。」
PS.ちなみに次の回答によると、世界48カ国で行われた小中学校の教員に対して行われた指導実践のアンケート調査で、「批判的に考える必要がある課題を与える」という項目が、日本はダントツの最下位だったそうです。そして回答者は「とにかく与えられる情報や環境に文句を言わずに従うべきだという美徳が、まさしく日本人の従順かつ無批判なマニュアル思考だということになります」と結論付けています。
日本が最下位になっている「面白い統計」を教えてもらえませんか?に対する萩原 遼さんの回答
家電 ボタン 多すぎ ユーザー 利便性
という検索ワードで辿り着きました
結局のところ、設計した人間がユーザーの使用場面や気持ちを想像しきれてないから、あんな出鱈目なUIになるんだと思います
ユーザーに認知的負荷を強いる時点でその商品やサービスの価値は一気に落ちると思いますね
[…] こちらの地域でテレビ回収、処分となりますと、「家電リサイクル法」に基づきます。 販売店か廃棄物処理業者に引き取ってもらうという事です。 […]
[…] こちらの地域でテレビ回収、処分となりますと、「家電リサイクル法」に基づきます。 販売店か廃棄物処理業者に引き取ってもらうという事です。 […]
常日頃から同じ事を思っていましたのでスッキリしました。
私もソフトウェアのUI設計や論理構造が必要なドキュメント作成が必要な仕事をしていますので、論理的におかしなUIの製品は使いこなすことができません。
嫌悪感により脳が拒絶反応を起こしてしまうようで全くダメです(笑)
一方ソフトウェアの世界ではスマホ対応が進んだ結果、簡素すぎて理解できないという逆パターンが起きてしまっていますね。
・どこかを触らなければ操作パーツが出てこない
・極度のアイコン化により押してみないと何ができるのかわからない
・どのような状態なのか分からない、戻れない
家電にしてもソフトにしても、問題の共通店は設計者の想像力と論理性の欠如ですね。
初めての人、繰り返し使う人、それぞれが使うシーンを想像すれば最悪なUIは回避できると思うんですけどね。
テレビのリモコンに一生押さないボタンいっぱいありますよね
筆者の文の端々から怒りが見え隠れしています
彼もまた冷静な議論が苦手な日本人なんだなあと
プロダクトデザインから映画ポスターまで日本企業はセンスが無いみたいですが一方でサブカルチャーや芸術家は独自のスタイルを評価されてますね
企業や大資本が絡むとそれだけ自由な発想から遠のく守りの姿勢になるのでしょう
富国強兵の日本は終わりますが日本が終わるわけではありません
主役が大資本家から個に変わっていくなら
これから江戸時代が始まるのかもしれません
最近、16年ぶりに洗濯機を買い替えましたが、ものすごく使いづらいです。脱水したいだけなのに、何らかのコースを選択して脱水以外の行程(洗いやすすぎ)の分数を0(ゼロ)にしなければなりません。記憶しないので毎回です。他の操作も取説を読んでも解りにくく、カスタマーに聞いたりしました。
昔の方がまだシンプルで簡単でしたね。
国内家電のボタンの多さ、つかいづらさが気になって、炊飯器20年、電子レンジ15年買い替えていません。
昔から下着や靴、服など、国内製品が体に合わないので海外製品に頼ってばかりいますが、
家電も、海外のシンプルなものを気軽に買えたらいいのにな、と思っています。
この記事を書いてくださり有難うございました。現場の方のお話で、何故こうなってしまうのかが分かり、納得しました。仕方ないと思いますし、諦められました。
これ、使いづらくてムカつく…のをスッキリさせてくれる記事かと思ったら、真面目に冷静にUI UXがどうのこうのという話や議論だったんですね笑
こんな議論を繰り返している間にいつの間にかAIに依存するようになるでしょう。ほんの10年ちょっと前まではタッチパネルすら未来のものだったのに今やあたり前のものになっている。ほんとにね、ずっと先のように感じてたB級SF映画やアニメのような世界が少しずつ足音をたててきているってことですかね。
疲れたので途中までしか読んでませんが、めっちゃわかります。
実家の洗濯機で排水すらわからなくて、説明書をみても全くわからずイライラは頂点に達し壊れているのかと思い、本体を蹴り上げてしまいました汗
が、その瞬間、閃きました笑
チャイルドロックというやつかと…蓋を全部閉めると排水がはじまりました。
私はわりと勘のいいほうで、使い方のわかりにくいものも使える方なんですが…この洗濯機をはじめ電子レンジなど多機能すぎる家電にはイライラさせられます。
クソUIで安定の東芝。
パナは機能減らせば使いやすいのと「停止」を解り易い所に置くのは割りと重要です。
それと例示された欧州製のはキレイですが結構視認性が悪く見えます。
それとボタンやツマミによる操作の方がユニバーサルデザイン的に望ましく「タッチスクリーン」は最悪です、これは完全に「若くてピチピチで健康健全な人間」しか間違いのない操作がし辛いものです、指以外で操作したり視野や色覚に制限を掛ければ判ります。無駄な機能もコスト面でソフト的に追加しやすくクソUIの温床になる。
それと「社内政治」もあるでしょうが根本的に「クレーム対策」が間違ってます。
理不尽な難癖には「誠実に対応」、改善案や不具合報告は無視(きちんとした不具合報告として状況再現までしたのに!)が「正しいクレーム対応」です。これでは開発側も改良方針が定まらず無駄な機能追加等で改悪するしかありません。
…
リモコンでしか動かせない製品についてSEさんと同感。リモコンを無くさないように紐で繋げたり本末転倒な事もたまにやります。
新しい洗濯機が来た時、ただの洗濯が全く出来ず。スタートボタンを押しても数種類のアラームが順番になるだけ。簡易液晶の表示もいまいちわからない。
機械音痴のカミさんがスイスイ使ってるから、やり方を聞いたら、「最後ふた締めれば普通に動くでしょ」と言われ、「え?スタートのトリガーって”蓋閉める”なの?じゃあこのスタートボタンはなんなの?」と心の中で叫び、その後絶望しやがて半笑いに。汚れはちゃんと落ちてた。
今はテレビにつないでいるハードディスクレコーダーの使い方が解らない。
あの箱は一体なんなんだろう。なぜカミさんはリモコンであの箱を使いこなせるのだろう。