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日本の家電の「絶望的な使いづらさ」について

国内家電 UI デザイン 使いづらい


※記事本文やコメント欄は長文ばかりのため、パソコンやタブレットなどの大きいディスプレイで読まれることをオススメします。
スマホのような小さいディスプレイだと「長文全体から意味を汲み取る能力」が大幅に低下するためです(それでもスマホの閲覧を意識して改行を多く入れています)。

追記を3つ行いました。
追記1 2017/07/15

追記2 2017/07/19

追記3 2021/01/20



—以下本文—

ふと思い立ち、「国内家電は使いやすいのか」を念頭に入れ、その視点を意識しながら家電を使い、この一年間を過ごしてみました。

なぜそれをするキッカケになったのかと言うと、実家に帰省した際に、「洗濯機」の使い方がわからず挫折したからです。

ちなみに僕は今までにMacもWindowsもLinuxも使ってきており、プログラミングもやってきているので、
平均以上の「マシン」への打たれ強さはある方だと思います。

その人間が、たかだか洗濯機を回すことすらパパッとできなかった事実は、僕の中では静かな衝撃だったわけです。

何が問題だったんでしょうか?

僕が使ってきた8つの家電のユーザーインターフェイス(操作部分)をこの記事で分析し、掘り下げてみようと思います。
(少し長めなのでお時間のあるときにでも。)



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1.実家の高機能洗濯機



では実家の洗濯機から見ていきます。

こちらがその挫折した洗濯機の操作パネル。


国内家電 使いづらい UI デザイン

自分で洗濯しようと思い、左側の水量ボタンなどをいじり始めましたが、
あっちのボタンを押すとこっちの設定まで変わってしまい、よく分からないのでとりあえず中央の「スタートボタン」を押しますが、警告音が鳴ってしまい、スタートしてくれません。

設定をリセットしようにも「リセット」ボタンも「切」ボタンも見当たらないのです。

つまりスタート地点に戻ることもできず、ただ設定ボタンを押してみるしかありませんでした。

3,4分間トライし続けたものの、結局回し始めることができず、 あきらめて親にバトンタッチしました。笑

いま眺めてみても「たぶんこういう手順だったんだろう」というイメージが浮かび上がってきません。

ボタンがたくさん並びすぎていて、
どういう手順で設定していけばいいのか、どれが最低限必要な設定なのかが全くわからないのです。


次の例を見てみましょう。


2.自宅で使っている洗濯機



学生時代に一人暮らしを始めた時からずっと使っている洗濯機です。

この洗濯機は持ち主もビックリするほどツッコミどころがたくさんありました。

その操作部分がこちら。


国内家電 使いづらい UI デザイン

この洗濯機もやはりボタン類が均等に並びすぎています。

ボタンの色に着目すると、「コース」「Tシャツ/Yシャツ」のボタンのみ黒で、他は白色になっていますよね?

この色の違いが何を意味しているのかが全くわかりません

必ず押さないといけないボタンかと思いましたが、「Tシャツ/Yシャツ」は使ったことがありませんし、「入」→「スタート」を押せばあとは標準コースで回り出すので「コース」ボタンも必ずしも押す必要はありません。


次ですが、下側のボタンがその上のラベルやランプと対応していることは、ぱっと見でなんとなくわかります。

しかしよく見ると、「予約」ボタンの上に「洗剤量」の表記があるんですよ。

国内家電 使いづらい UI デザイン


また、Tシャツラベルの上に「風乾燥」や「樽洗浄」が表記されていますが、 この2つは左の「コース」ボタンで設定するものであって、
真下にある「Tシャツ/Yシャツ」ボタンとは関係ありません。

国内家電 UI デザイン 使いづらい


要するにボタンとラベルの上下の対応がおかしいんです。
スペースがないからとりあえずここに持ってきた、とでも言わんばかりのデザインです。


また、ボタン類の左側には機能を表すような文字が記してあります。

IMG_5580


「濃縮洗浄」「からみまセンサー」「温度センサー」「槽乾燥」の4つですが、これを買った人に訴え続ける意味はあるんでしょうか。

「からみまセンサー」機能を発動するボタンは見当たりませんし、温度センサーもどう役立っているのか皆目見当がつきません。

こういった言葉をカタログや製品パッケージでアピールするならともかく、普段使うボタンの隣で目立たせる必要はあるようには思えません。

ダジャレで紐付けるネームセンスから想像するに、デザインノウハウに難のあるオジサンたちが安易な判断をしてしまっているんじゃないでしょうか。


この洗濯機はツッコミどころがまだまだありますが、
キリがないので次行きます。


3.スーパーの高機能電子レンジ



続いて自宅以外で使った家電、第2弾です。

もちろんこの電子レンジも(電卓の如く)たくさんのボタンが整列しています。

国内家電 UI デザイン 使いづらい


スーパーの休憩コーナーに設置してある電子レンジなんですが、
実家の洗濯機と同様、温めスタートをするまでに困惑させられました。3,4分あちこちボタンを押していたと思います。

この電子レンジもちゃんと設定をしないとスタートできない仕様なんです(と思い込んでいました)。

かといってどういう手順で進めていけばいいのか、そのボタンの並び方からイメージするのは困難です。
ディスプレイでは何の設定が足りないのかわからないですし、こまごましていてじっくり見る気にもなれません。

その後温めることはできましたが、どういう手順だったかもう覚えていません。


数十秒間温めるために神経がすり減らされていることがまったくもって意味不明でした。
セキュリティロックを解除するわけでもあるまいし、、、(後日わかりましたが、スタートボタンを押すだけで温めることができました。自分の思い込みに問題があると思われるかもしれませんが、そのような勘違いを誘発すること自体、デザインに問題がある証拠です。)

それに、右上の「お弁当あたため」がやたら目立ちます。

IMG_20160104_133611_HDR のコピー 2


これは
・ボタン類の一番上に位置すること
・赤色になっていること

の2つのデザインの効果だと思います。

しかしその目立つボタンは「お弁当」という特段、使用頻度の多いわけではない機能が割り当てられてしまっています。

この電子レンジは操作の流れをとことん無視したようなデザインになっており、
取説を頭にインプットしておくことを要求しているようにすら感じますね。


いやむしろ取説データを保存したAIロボットが使うことを想定して設計された
ロボットが支配する未来を先取りしすぎた電子レンジ」だったんじゃ、、、

という冗談はさておき、
1プッシュで全て自動で調節して温めてくれる、というのがハイテクの正しい方向性じゃないんですかね?


簡単な代替案を作ってみました。

レンジデザイン


左の青い文字がボタンで、
坂を転がるように設定していけばスタートボタンにたどり着きます。

いや待ってください。
このレンジは多機能すぎるので、そもそもタッチスクリーンに統一した方がいいかもしれません。

全機能をボタンだけでなんとかしようとすること自体が無謀です。
機能を減らすか、ソフトウェアにもっと頼るべきだと思いますね。



4.自宅のシンプルな電子レンジ



続いて僕が毎日のように使っている電子レンジです。

国内家電 UI デザイン 使いづらい


このレンジはいわゆる「ローエンドモデル」で、タイマーの設定と温めモードの切り替えしかないシンプルなものです。

シンプルすぎるので使い方に迷うことは全くないんですが、1つ気になる部分があります。

2択しかないモードに対して、ダイヤルを使っているのは明らかに割にあっていません

ここはスイッチで必要十分だと思います。

国内家電 UI デザイン

【追記】
コメントへの返事にも書きましたが、このデザイン仕様の一番現実的な理由は「製造コスト」にあると思われます。バタフライスイッチ案が適切かどうかはさておいても、2択しかないモードにたいしてダイヤルUIを当てはめるのはUIデザイン的には間違いなく理にかなっていませんが、
コストをケチる必要のなるローエンドモデルであれば仕方ないでしょう。



5.高機能エアコンのリモコン


実家の高機能なエアコンのリモコンです。
もはや定石ですが、電卓のような並びっぷりです。

IMG_5005


1プッシュで部屋を快適にしてくれさえすればそれでいいのに、なぜか漢字まみれのボタンとの睨めっこを要求されます。


6.トイレのコントロールパネル



同じく実家にある、トイレのコントロールパネルです。

国内家電 UI デザイン 使いづらい


毎回使う「大・小」の流すボタンよりも「おしり・ビデ・停止」ボタンの方が大きくデザインされているのが気になります。

ボタンのサイズだけでなく、中央に配置されていることから「おしり・ビデ・停止」ボタンがあたかも主役の座についているかのようなレイアウトです。

さらに赤色になっている「停止」ボタンが、

私はこのトイレで最も重要な存在なのだ。

と主張しています。

デザインが便器の本質から遠のいて行っているような気がしませんか?
目指す先は「尿意の停止」でしょうか。

便器の意味!


そして下の方に細々と配置されているボタン類も、普段触るものではないことを考えれば「見えすぎ」です。


というわけで簡単に代替案を作ってみました。

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細かい機能設定はすべて上部のカバー内に格納で、
「流す」を中央にドーンと配置しました。大か小かは人間じゃなくて機械に判断させればいいと思います。

「パワー脱臭」は「とりあえず流してから」判断すればいいと思ったので流すボタンの下に。
電池交換はバッテリーアイコンを赤色で点滅させればいいんじゃないですかね?

「洗浄の強さ」は「止」から各ボタンに向かって光るメーターを取り入れ、「おしり・ビデ」ボタンを押すたびに強くなっていくようにすればいいでしょう。
そして「止」ボタンで一発停止です。



7.サーキュレーター



お次は僕が使っている安物サーキュレーター。 このサーキュレーターはすごくシンプルですが、すごく使いづらいです。

その原因部分がこちら。

IMG_5583


使いづらさの温床は、羽の下に隠れぎみな位置にあること、
そして首ふりの有無それぞれ3段階(計6段階)が1つのダイヤルにまとめられてしまっていることです。

例えば、現在の設定が「首ふりOFFの1」とします。
風量1を維持したまま「首ふりON」にしたい場合は、
ダイヤルを回して「2→3→首ふり1」か「首ふり3→首ふり2→首ふり1」と巡回しなければならないのです。

巡回の途中で風量が強くなったり、首が回りだしたりするのは結構なストレスです。
しかも1つの目的地に対して、2つの経路があることが余計な迷いを生じさせます。

このケースでは、単純に横スライダーと首ふりボタンに役割を分離すべきだったと思います。

国内家電 UI デザイン


8.祖父母が使っていた電気ストーブ


最後は電気ストーブです。
祖父母が洗面所用に使っていた電気ストーブですが、「いかに使いづらいか」を如実に表す良い例でもあります。

なぜなら祖父母がマジックペンとガムテープでその電気ストーブをアレンジしていたからです。笑

その写真がこちら。(いい写真が残っていませんでした)

IMG_0325 のコピー


その後僕が使い始めたときにガムテープを剥がしてしまったため、残念ながらそれは写っていません。

絵で再現するとこんな感じで、ガムテープを中央で折り、ツマミとして機能させていました。

ストーブつまみ


このストーブはてっぺんのトンガリ部分を回して使うシンプルなタイプですが、
その回す部分がツルツルしていて回しづらいのです。
(冬は手がカサカサで滑りやすいのでなおさら)


もう1つの欠点は「そのツマミが今どの位置にあるのか」が視覚的に分かりづらいことです。

・回転ツマミの照準が数ミリのデッパリのみ(色もなし)
・強さを表す印字が「1000w」「600w」という表記
・印字そのものが小さくて黒い
などなど。

そこで祖父母はその下に「高・中・切」とマジックで書き足したのです。

国内家電 UI デザイン


僕の祖父母の方が企業人よりデザインセンスあるかもしれません。

このストーブはUIデザインとしては最悪で、しかも暖房器具なのに本体カラーがなぜか寒色の青と、
分析すればするほど理解できなくなってきます。

(※ このストーブは小泉成器とサクラクレパスとのコラボ商品で、クーピーペンシル風のデザイン・カラーリングを意図したものだそうです。つまり、青色は多色展開のひとつにすぎないため、問題点ではありませんでした。コメントにてご指摘いただきました。)


絶望的なまでに使いづらい



高機能になるとボタンを羅列するレイアウトが多いですよね。

この事実から、1つの機能を持つ1つのボタンを「個性」と見ると、
日本人は「個性をつぶした画一化のデザイン」をする傾向にあると言えます。


そして、
「選択肢が多いほど心理的に負担がかかる」という事実がありますが、
これら酷いUIデザインの家電は、僕たちから思考のエネルギーを余分に、そして知らず知らずのうちに奪っていきます
それも毎日です。

これは誇張しているのではなく、普段意識しない部分に着目しているだけです。


悪意がないにしても、ここまでUIデザインに無頓着なのは罪とさえ思います。

ちなみにUIデザインに問題のある製品は、全体的な見た目もダサくなる可能性が高いです。

なぜなら全体の調和が崩れるからです。


洗濯機に挫折したと言いましたが、説明書を読みながらやればちゃんと使えると思います。
しかしそれが家電のあるべき姿なんでしょうか?

洗濯や調理、室温の調整など、本来の目的を円滑に達成させることが家電の目標だと思うんですが、
日本の家電はそれとはほど遠いところにあるように感じます。


それに対し、欧州には秩序を保った美しいUIデザインの洗濯機が存在します。

IMG_5578


このような家電が日本の大手メーカーから登場するのはイメージしづらくないですか?

この製品をデザインをする人たちが「からみまセンサー」を製品に(しかも前面に)貼り付けると思いますか?



国内メーカー、結集!



この記事で取り上げた製品のメーカーは
東芝、パナソニック、三菱エレクトリック、日立、ヤマゼン、アイリスオーヤマといった誰もが知る大企業ばかりです。
(見事にかぶっていませんでした!)


1つや2つの小規模メーカーだけならともかく、国内メーカー総出で使いづらいモノを生み出し続けているのはさすがに異常ではないでしょうか。

文字通り「絶望的」です。

表向きは便利さ・快適さの提供を演出していますが、消費者からお金を取ったあとに提供しているのは煩わしさそのものです。


なぜここまで酷いデザインに帰着するんでしょうか?


僕が一つ思うのが
「ソフトウェアを軽視したハードウェア優先の設計」です。

iPhoneが携帯電話からボタンを取り払ったように、ソフトウェアには物理ボタンを減らす力があります
ソフトウェアを中心に設計すれば、物理ボタンは最小限で済むはずです。

なぜなら、Aというボタンに”どのタイミングで・どんな押され方で・どんな機能を発動させるか”をソフトウェアなら判断と指示ができるからです。

タッチスクリーンであれば、ボタンそのものを自在に変化させられます。


しかしハードから設計してしまうと、一つ一つの機能に物理ボタンを割り当てることになり、先ほどの高機能な電子レンジのように、ボタンまみれの外見になってしまうのではないでしょうか。

少なくとも日本人は目に見えないソフトウェアを軽視するという事実はあります。


しかしこの見方はタッチスクリーンでのUIの問題を説明できませんし、
安物サーキュレーターのようなごく単純なデザインの説明には使えません。
つまりソフトウェア云々以前の話で、もっと根本的な問題があるはずです。



使う側にも問題がある



問題は僕らユーザー側にもあるように思います。


消費者が家電の使い心地に対してもう少し厳しい目を持っていたら、
使いづらい製品はここまで多く生き残れない
と思いますし、この低いUIデザインレベルが「当たり前のように」蔓延したりしないはずだからです。

こういうヒドいものがたくさん生き残っているということは、ちゃんと買われているということで、
使う側がこのヒドさを認めていることに他ならないと思うわけです。


メイド・イン・ジャパンを信仰する大人もいたりしますが、
それはバブル期の栄光を引きずっているのではないでしょうか?


そして更に突き詰めると、作り手も「家電の消費者」そのもので、
「低いデザインレベルを見て育ってきた」ということになります。

となるとこれはもう悪循環の成立であり、企業レベルの問題ではなく、社会レベルの問題じゃないかということになってきます。


いや〜、恐ろしくなってきましたよ僕は!


このデザイン的な使いづらさは取り沙汰されないだけで、かなり深刻な問題だと思います。
というより話題にならないからこそ深刻なのでは?

作り手にとっても使い手にとっても当たり前すぎて、もう話題にする価値すらないのかもしれません。

例えるなら、

「ねえ、なんでみんなLINE使ってんの?」
「は?いまさら何言ってんのお前」

みたいな感じでしょうか。
もしくは、死ぬときに当たり前のように墓石を建てるようなものでしょうか。

気付いたらそこにある、かけがえのない常識です。



ある物理学者は「文化」についてこう言っています。

『「文化」とは、人間が獲得し、何世代にもわたって受け継いできた知識をひとまとめに表した言葉だ。群れを成して泳いだほうがいいことを個々の魚が発見する必要がないのも、仲間といっしょに狩りをすることをオオカミが知っているのも、「文化」のおかげだ。』

これから考えられることは、
国内家電の使いづらさ(=日本人のデザイン感覚・美的感覚の低さ)は近代日本の「文化」そのものだということです。

『日本人各々のデザイン感覚が育まれることがないのは「文化」のおかげだ』
って解釈できますよね(笑)


「なんでこんな使いづらい洗濯機使ってんの?」

と聞いたところで、相手の頭上に「?」マークが浮かび上がるのがオチです。

むしろそんな質問をした側が「おかしい」と思われかねません。
(それ以前に、使いやすい洗濯機がこの国には存在しないのでは?)


かの福沢諭吉は有名な『学問のすすめ』で、「国民」と「政府」の関係についてこう述べています。

『こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり』

前に述べた「使う側にも問題がある」というのは、この理のことを指しているわけです。
この論理はなかなか腑に落ちないとは思いますが、要は「類は友を呼ぶ」ようなもので、
政治だろうが家電だろうが、それらのクオリティを生み出すのは「サービス提供者」だけでなく「サービス利用者」にもあるということです。

言い換えれば持ちつ持たれつの関係で、お互いがお互いをがんじがらめにしてしまっている状態です(これはAmazonと楽天の最大の違いとも言われています。つまり、Amazonの顧客の方が質が高い)。


特に多くの大手国内メーカーの経営者が、問題を潰したい起業家ではなく、義務的なサラリーマン上がりであれば、この論理はなおさら効力を発揮するはずです。
この「絶望的な使いづらさ」は、自分たち日本国民が「みずから招く災い」というわけです。


世代を超えて受け継がれ、各々に根付いてしまっているのであれば疑問すら湧かないのが普通であって、いわゆる「消費者の頭の悪さ」を指摘したいとは思っていません。


この厳しい状況は「デザインの教育を徹底する」程度では解決不能な域に達していると思います。
例えるなら「真夏のアスファルトをバケツの水で冷やそうとする」ようなもので、文化にことごとく影響を与えるような「歴史的な転換点」のようなものが必要なレベルではないでしょうか。

さらに言えば、この国はG7という先進国トップ7に君臨する国です。デザインよりも安定性がとりあえず追求される高度経済成長のような時代はとうの昔に終わりました。
高機能性も、もともと専門性の高い「家電」という存在には詰め込まれすぎているほど発展しています。しかし国内メーカーの多くは「使い心地」という次のステップへいっこうに進む気配がありません。



iPhoneやダイソン掃除機のように、海の向こうから黒船がやってくる度に日本の使いづらい製品は淘汰されるかもしれません。

軸のない文化やアイデンティティーは駆逐される運命なんでしょうか。


ただ、GreenFanなどで有名な「BALMUDA」のようにシンプルで美しい家電を作る、熱意のある若手メーカー(2003年設立)も出てきているので、そういったメーカーには期待したいです。

しかしそれでもなお、老舗の大手メーカーは使いづらい製品を生み出し続け、消費者は文句も言わずに買い続けるような気がします。



(※ 下部のコメント欄も議論で白熱しています。ぜひご覧ください。)


追記1 2017/07/15



何が引き金になったのかは分かりませんが、記事公開から1年以上経って、Twitterのトレンド「日本の家電」の起爆剤になったようです。
(一時的なサーバーの負荷で何度再読み込みしてもページを表示できない状態が何時間も続きました。)

「海外家電との十分な比較がないのに『日本の家電は〜』と言えるのか」という反論が散見されますが、たとえ欧米の家電の多くが日本の家電と同じように使いづらかったとしても、「日本の家電の平均的な使いづらいさ」が無かったことになるわけではありません。

さらに国内家電のUIが使いづらいものばかりであることは「家電のあるべき姿」「人間の生物学的な特性」の2点を問いかけて分析すれば十分見出すことが可能で、海外家電と比較しないと見出せないことではありません。
このようなことから、本記事のタイトルから「日本」を省く必要はないと思います。

また家電に限らず、日々日本製のUI(ヤフオク、求人サイト、業務用プリンタ、デジカメ、公共機器etc)を観察していれば、日本人集団が生み出すUIデザインがボタンまみれで、平均的に煩わしいことは(本記事のように)少し指摘すれば多くの人が簡単に気づけてしまうほどの度合いの強さです。

しかしこれに対し同じ日本製でも、任天堂をはじめとするゲーム業界はもともとUIデザインに神経質なのもあって、家電などと比べてUIデザインはよくできている方ではないでしょうか(ニンテンドースイッチは良い例で、ソニーもPSX向けに開発したクロスメディアバーでグッドデザイン賞やエミー賞を受賞しています)。

ついでに言えば、たかが趣味的に書いて無料公開している一記事のためにダイソン以外の欧米の家電と一つ一つ比較するほどの労力を注ぐ気も要求される筋合いもありませんが、
しかしちゃんと「代替案」をテキトーながらも自分でデザインして提示しているので、意見としては真っ当な姿勢だと筆者は考えております。

また、当記事で意見を述べることの意義は「社会の思考に意味のある刺激を加える」ことであって、「どこの誰もが読んでも納得・同意できる隙のない100%完璧な考察をする」ことではありません。
(たかが一万字程度のブログ記事では物理的に実現できませんし、そんな人間が世の中に存在するとも思えません。)

「ダイヤルがなんちゃら」「代替案が〜」という細々した部分は実際はどうでもよく、そこが当記事の本当の論点ではありません。


意見を述べることそれ自体に不満タラタラな反応を示す方も多く散見されるので、
ついでに書籍『天才と異才の日本科学史』にある一部分を引用しておきましょう。

北里(柴三郎)は報告者であるペーケルハーリング博士を国際雑誌で批判する。しかし、それがきっかけで、二人は親友になった。
日本人同士となるとこうはいかない。自分の研究を批判されると、すぐに「面子をつぶされた」とか、「恥をかかされた」と感じる。日本人は冷静客観的に科学的議論ができず、死ぬまで闘う。(中略)
論理学は明治時代西周(にしあまね)の翻訳により誕生した言葉であり、アリストテレス以来、西洋の伝統的な知恵である。
日本人には全く無縁であった上に、論理学に基づいて討論したことがないから、論理学も討論もその価値を実感したことがなく尊重もできない。したがって、日本では科学者も論理的に討論する事が苦手だ。私たちは日本独特のウェットな人間関係の中で育ち、科学的討論の場でも感情的になったりする。



これは自分たち日本人のデザイン・美的センスの欠如以上に致命的な弱点だと僕は考えています(美的センスは日本民族はもともと持っているものだと思いますが)。

なぜなら前向きな議論・討論ができない集団は自分たちで軌道修正ができず、世の中の変化に柔軟に対応できず、結果、終末へ向かって歩みやすくなってしまうからです。

さらに、意見が出てこないということは、思考に刺激を及ぼす(思考のレベルを高める)機会の損失を招き続けます。
思考に刺激が少ない「画一化」が支配するところでは、その集団の知性・判断力・精神年齢は相対的に低下し続けることになります。
そして「愚民」の度合いが強くなるほど、「苛き政府」の度合いも強くなっていきます。
かくして「終末への道」は不動のものとなるわけです。

(ちなみに日本人一人当たりのGDPはついに韓国に抜かれ、成長率は先進国最下位にまで転落しました。)


惑星から気候、動植物、自分たちの持つ性格に至るまで「多様性のみ」で成り立っているこの世界において、「他と同じであることこそ美徳」という価値観は、自然の在り方に反します。


ところで江戸末期、なぜペリー提督の圧力がかかるまで開国できなかったのでしょうか?

敗戦後、なぜGHQによる立て直しのメスを入れられるハメになったのでしょうか?

なぜ現代日本人は未だに、失われた20年の経済不況を25年前後も立て直せないままなのでしょうか?


議論・意見を尊重できず、物事をうまく評価・考察できない日本人集団は、自分たちで方向転換する能力を持っていないのです。
外国人に軌道修正してもらったとしてもその場しのぎに過ぎず、自分たちの心の根元の問題までは直せていないため、また同じことを繰り返す。


明治の開国からもう150年。
あえて強めの言い方をしますが、
日本人はそろそろ、己らの心の内奥に根付く「辺境の島国で育まれた時代遅れで有害な精神主義」という"真の弱点"を自覚せねばなりません。

現代日本人の心にはまだチョンマゲが乗っかり、フンドシを履いているのです。


格好の事例として当記事に対する反応がまさにそれで、意見を述べると男女関係なく
「まあ!なんてハシタナイことをっ」
とでも言うかのように意見者を力づく(不満・怒り・憎しみの感情)で片付けようとする態度がよく見受けられます。
ちなみに筆者はその「越えてはいけない壁」を承知で、あえてブチ破っております。
本当に有害なのは意見ではなく、その壁です。

その不合理な精神主義をなんとかしない限り、自殺や過労死もいつまで経っても歯止めがかからないのではないでしょうか。
歴史的なリセットという点でも自殺・過労死という点でも、その不合理な精神主義は「無駄に死者を生み出す精神主義」なんです。


自分は預言者でもなんでもありませんが、
"因果"が支配する自然の法則下においては、そのような誤った態度のツケは必ず、自分たちのところへ回ってくるでしょう。




さて、コメント欄にて丁寧なご意見をたくさんいただき、本当にありがとうございます。たぶん僕が一番勉強になっているかもしれませんね。
実際にプロダクト作りに関わっている方々にも刺激になったようで、それだけでも本記事を書いた甲斐がありますし、非常に有意義だと感じています。

いただいたコメント数が多すぎるので、追記にて返事とさせていただきます。


「ここのブログUIが使いづらい」という皮肉を含む反応もいただきますが、
ブログ運営は本業ではありませんしウェブプログラミングも達者ではないので、黙認済みの「手抜き」です。特に筆者の使用機器はもっぱらタブレットとパソコンで、スマホからは滅多に当ブログを見ないので、スマホには余計に気が回っていないことは、はっきり述べておきます(いつか気が向いたら手入れする予定)。

ちなみに5インチ程度のスクリーンサイズは、情報リテラシーの観点では脆弱な側面があります。
一度に表示できる絶対的な情報量が、致命的なほどに少ないからです。


それはさておき、あとは当記事を踏み台に、真剣に反論したい人が海外家電との比較や、より良質なデザイン案をともなった記事を書くなどして不特定多数へ発信すればいいのではないでしょうか。

コメント欄にて丁寧な意見をいただけるのも個人的にはありがたいわけですが、長文に向かず画像なども使えないコメント欄で議論するのは不毛だと感じました(相手が作り手の立場の人ではないのであれば特に)。

筆者個人に向かっての意見よりも、ブログや書籍を通しての意見の方がより生産的だと思います。
特に作り手の立場の方であれば、1記事2記事分くらいの考察はそう難しいことではないはずです。
(ツイートやコメントでちょろっと反論するのはスキル的にも精神的にも圧倒的に楽なもので、1万字に対して数百字なんてのは対等な反論・議論になりません。)

そのような意気込みのある人がいるのであれば、反論かどうかに関係なく筆者としては嬉しい限りです。


追記2 2017/07/19



さらに素敵なご意見、情報提供をいただけて筆者も感服しています。

当記事では問題点ばかり挙げているせいか「筆者は日本人嫌い」という印象を一部の人に与えてしまっているようです。

しかし僕は日本古来の「美」「高度な精神性」に強く惹かれており、散歩がてら神社の様式を観察しに行くほどで、
日本語が持つ潜在的な柔軟性や、西洋のサイコロにはない日本のサイコロの目が持つ自然美などの素晴らしさも認識しており、また千利休といった偉人たちの思想にも感銘を受けるなど、「日本人嫌い」どころかむしろ「日本通」なところがあります。
(ちなみにiPadのロックスクリーンは日本庭園です。)

日本には優れた文化、食事、自然などがあり、外人が持っていない精妙な感性と精微な技術力を持ち、時代問わず国際的に活躍する幾多の個人も輩出するなど、日本人であることに誇りを持っています。
日本人は個人としての能力は比較的高いとも思いますが、当記事の後半で指摘しているのは「集団としての弱点」です。

また、デザイン・美的センスの欠如は「明治以後の近代日本」、意見を尊重できない点は「島国全体が村である日本」と、弱点といっても出所が違うので、決して日本人全体を否定・批判しているわけではありません。

"意見"というのは「仲間・協力関係」だからこそなされるものであって、「敵対視・ケンカ腰」でなされるものでもないと僕は考えています。

もし本当に日本人が大嫌いであれば代替案は示さずに「ただの批判」で済ませるどころか、当記事を書くことすらせずに「見て見ぬフリ」をします。
問題点指摘と提案をしてしまったら、相手の役に立ってしまうからです。
(ちなみに国内マスメディアの得意技は「見て見ぬフリ」のようです。笑)

さらに言えば、「負の感情」は理性を屈服させてしまうので、感情的になっている時点で「議論・討論」は成り立たないはずです。




さて、コメントにて特に興味深いと感じた情報を一部ここで挙げさせていただきたいと思います。
まずご紹介いただいたこちらのTogetterのまとめページ「ゲームプランナーから家電業界のプランナーに転身した友人の感じたこと」

そしてフリーランスのデザイナーさんの現場でのお話を全文ここで引用させていただきます。

私はフリーランスのデザイナーです。
日本の地方や零細のクライアントや代理店は、デザインとは自分の子供でも出来るお絵描きだと思っており、それにお金を使うと言う発想がありません。
結果全てが近所の商店のチラシレベルになります。

そして大手代理店やナショナルクライアントでも、デザイナーに求められるのは肩書きと過去の実績、そして最も重要なのは担当者と気が合う事で、デザインそのものはあまり語られません。

一番分かりやすいのが、仕事をする時に代理店と一緒にクライアントに行くと、日本のクライアントは代理店と優先的に話をします。気心が知れているのと、制作は誰でも良い出入りの業者的な扱いになるので代理店から聞いておけと言う感じになります。クライアントに会わないことさえ多々あります。
(尚、有名人はこの限りではないので日本のデザイナーは自身が有名になる事を目指します。)
しかし外資の企業と仕事をして、ヨーロッパやアメリカの本社から担当が来ている場合は、代理店担当者は繋ぎでしかなく、デザイナーと直接話したがります。そして世界的に有名な企業の上層部でもかなりのリスペクトを持ってデザイナーと話をしてくれます。そして成果物に対する評価や議論も本気でぶつけて来ます。
20年以上仕事をしていますがこれは100%毎回です。

現代の日本人は無形のもの、数値ではなく主観でしか評価できないものに対する結論付けが出来ないのだと思います。

更にここに社内政治が出てきます。
日本、特に大企業、では偉い人の機嫌を良くする事が良い物を作る事に優先されます。
開発部門の本部長が次期社長候補であったりすると「からみまセンサー」と彼の呟いたダジャレを「素晴らしすぎてデザインに組み込ませて頂きました」と言う方が、良い物を作るより担当者の出世が早くなるので、デザイナーにそう言う指示が落ちて来たりします。
それらは大抵デザインに致命的な打撃を与えるので、その時点で良い物を作ろうと言う思いは全員の心から消え、どう皆の機嫌を取り次の仕事に繋げるかに心がシフトします。

これは国民性なのでメーカーだけでなく、クリエイティブ全般で同じだと思います。
才能もセンスも欠片もない10代男女が出した楽曲が成果物のレベルに関係なく、頑張って努力しているので応援したいと言うモチベーションで売れたりします。

クリエイティブにおいて最終成果物の出来に関わらず、過程の評価で売れると言うのは世界でも日本独特の現象です。
なので世界において日本で評判の若い芸能人の楽曲が、奇異と言う事以外で、売れる事は絶対にありません。
でも日本ではそれで良いのです。

その辺りも鑑みると、このヒドいUIは開発部と宣伝部、製造部門など全員の納得を得た完璧な、そして絶望的に無駄な、社内調整や仲の良い代理店が手配した立派な経歴を持ったセンスのかけらもない、または希望を失った、デザイナーなどが作り上げた、誰もが納得できる過程を経た、という究極に日本的なデザインなのではないでしょうか。



このように広い視点で、なおかつ高い洞察力から来る意見が日本語で出てくるのはかなり貴重なことだと思います。

さて、このデザイナーさんの経験談・ご意見・お考えを引き出すことができたのも、当記事の大きな成果の一つでしょうし、同じ現代日本人として、客観性をともない優れた洞察力をもつデザイナーさんがいらっしゃることを確認できると、本当に嬉しくなります。
(お偉いさん方に疑問を抱く芸大生さんや、URLを貼ってくださる方々などに対しても同様です。)

意見や議論を当たり前のように尊重し、こういった意見が当たり前のようにあちこちで出るような日本社会がいつか実現されることを願っています。

(なお、コメントではスパム対策でURL付きは「承認待ち」となってしまいます。ご不便おかけしますが、気づき次第承認させていただきます。)
みなさま、本当にありがとうございます!


追記3 2021/01/20

炎上から3年半たち今さらですが、2021年という今でもコメントをいただくので追記することにしました。ソフトウェアやタッチスクリーンについて異論反論が意外と根強く出てきたのは、正直驚きました。

コメント1:2017/5/10「安易にソフトで解決する案は、有効なように見えて実は逃避的であると思います」
コメント2:2017/7/14「あなたはソフトウェア万能主義的に見えました」
コメント3:2017/11/19「確かにボタンを減らす力はある反面、画面遷移より物理的ボタンの方が分かりやすい場合も往往にしてある」
コメント4:2020/7/24「物理スイッチの安心感はありませんか?液晶パネルの不安定さがいやになることがあります」

僕は本文にて、「ソフトウェアを中心に設計すれば、物理ボタンは最小限で済むはず」
「タッチスクリーンであれば、ボタンそのものを自在に変化させられます」
「ハードから設計してしまうと、一つ一つの機能に物理ボタンを割り当てることになり、先ほどの高機能な電子レンジのように、ボタンまみれの外見になってしまう」
と述べました。
しかし、何もスマホやパソコン、あるいは ATM のような画面遷移ばかりの複雑な GUI をイメージして言ったのではありません。
下の画像のように、ごくごくシンプルな GUI を少ない物理インターフェイスと組み合わせるデザインも可能なんです。

こうすることによって、ソフトウェアとハードウェアそれぞれの長所を組み合わせることができます。つまり、シンプルな使い心地とクリーンな見た目を維持しつつ、高機能化を実現できるということです。
ところが日本メーカーはそのような有機的デザインが苦手なため、この炊飯器のように、やたらゴチャゴチャしたものを生み出してしまうのです。

見にくい(醜い)と思いませんか?

最後に、Quoraにて2020年1月、筆者が日本メーカーの問題を多面的に解説した回答をしましたので、興味のある方はぜひ一読してみてください。

なぜ日本の携帯電話メーカーはAndroidOSに固執し、独自OSを各社合同で作り世界の携帯電話シェアを奪いに行かないのでしょうか?iOSやAndroidOSだけではつまらないと思います。

当記事よりもはるかに長文ですが、識者たちの見解も多数引用し、Quoraユーザーからも良い評価をいただいています。今の日本が、先進国としてデザイン面に著しく弱いのは間違いありません。
アウディ車のデザインに携わり、バルミューダのアドバイザーでもある工業デザイナー、和田智さんもおっしゃっています。

「日本人は"ない"ことを怖がるんですよ。エディトリアルデザインでもそうだし、クルマのデザインでも、例えばボディサイドの余白が怖いとかね。日本メーカーは、とくに経営陣は、その余白に耐えられないんです。」

引用元:「日本車とドイツ車」、デザインの決定的な差



PS.ちなみに次の回答によると、世界48カ国で行われた小中学校の教員に対して行われた指導実践のアンケート調査で、「批判的に考える必要がある課題を与える」という項目が、日本はダントツの最下位だったそうです。そして回答者は「とにかく与えられる情報や環境に文句を言わずに従うべきだという美徳が、まさしく日本人の従順かつ無批判なマニュアル思考だということになります」と結論付けています。

日本が最下位になっている「面白い統計」を教えてもらえませんか?に対する萩原 遼さんの回答


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日本の家電の「絶望的な使いづらさ」について」への213件のフィードバック

  1. えっ、あの程度のUIで投げ出す程度の人の考える「すばらしい欧州、ダメジャパン」ってそもそも見当外れなのでは・・・?

    1. 難解なUIでも投げ出さずに真剣に取り組めるあなたの根気は素晴らしい
      しかし初見取説無しで扱えるUIこそが理想なのです
      ゴール地点をしっかり認識しましょう

  2. せーっかく調べたのに消されちゃった? URL多いからスパム判断?
    前にも同じ議論あったよね。テレビ、ステレオコンポの操作パネル&リモコン問題とか。
    他人のコメントを消去するなら問題提起とか議論をご覧下さいなんて書かなければいいのに。

    1. wikipediaぐらいしか知ってるサイトないし怪しい スパムかな
      読み手の事を考えない書き捨てとはこういうことか

  3. ごめん。
    なんでわからないのかがわからない
    見れば一発でわかるじゃん。

    むしろ、あなたが書いて文章がよくからない。
    結局なにがいいたい。って話になる。

    1. こういう人いるんだ。やっぱり。気にならない人。

    2. ほー いるんだねぇ

  4. 「誰のためのデザイン?」D. A. ノーマン (著)、という1990年頃に初版が出た本がありますが、取り上げられている電話機や家電、果てはドアのノブのデザインに至るまで日本にあらずとも、また時代が違っていてもデザインで失敗する例はいくらでもあります。
    独りよがりでない、利用者が無意識に期待している動作にもかなったインターフェースが実現できれば、本当の意味で美しい道具になるでしょうね。

  5. 家電とは少し違いますが、国が作っているe-TAXの画面も10年以上前のWebかってくらい見づらいし、操作しづらいです。
    iPhoneのSuicaアプリも少し進めばガラケーの画面になります。
    日本はUI/UXの概念があまり無いのかなと思いました。
    大企業は、ソフトウェア開発(特にデザイン)にもっと注力すべきだと思います。

  6. 女性目線が足らないって事ですね。結果を出す機械が欲しいと。女性が聞く前から期待してる答えを待ってる感じとすごく似てます。列挙されてるダメインターフェースでストレスを感じた事は無いし、説明書を読んだ事もありませんが、色んな機能がこんな数個のボタンに入るもんだなとむしろ関心します。要はメンドくさいんでしょ?結果の少しの違いを気にして、次はちょっとこうしてみようと言う要求に耐えるように出来てるものをシンプルにしろ、って言うのは出来上がりのちょっと差を気にしないって事。単一の機能しか使わないのは機械に使われてて自分の可能性を捨ててるって事なんじゃないですかね。分からないかもしれませんが、ゲームで4つのボタンしか無いのにこんなアクションを出せるんだぁ、すごいなぁという時にAボタンをひたすら連打して敵を倒せるならいいじゃんって言う人とは絶対意見が合わないんだろうなぁという感想です。

  7. おそらくBuzzらせるために「日本の家電」というタイトルにしたのでしょうけれど、できれば海外製品との比較も見てみたかったですね

  8. 良いエントリーですね。私も同じ問題意識を抱くいちユーザーとして読み応えがありました。
    日本の家電は、普段日常生活で使わないような機能ばかりついていてその無駄さにお金を払っているのです。Macと国産メーカーのパソコンなんてその最たる例だと思います・・・無駄な初期ソフトウェア、無駄なボタン、無駄な外装。しかし一方で機能性のみを重視したシンプルなデザインは軽視されがちで、流行ものが好きな日本人には衝動買いされない=売れ残りやすいということなのかもしれません。また、問題意識を抱く視点は良いですが、ところどころ議論の余地がありますね。特にトイレの代替UIデザインはやっちゃ駄目なパターンですそれ・・・矢印で往復させるものでないと不特定多数の尻が死にかねません。。。
    海外の優良UI/デザイン家電はそもそも売っていない・電圧の関係で使えない・必要な部品の規格が違う等ありますから、欲しいと思っても中々そうはいかないのが現実。最近の流行がモダンシンプルなデザインなので、これから国産メーカーでもそのような家電が増えることを祈ります。

  9. 洗濯機の項目、「樽」じゃなく「槽」ですよ。

  10. だったらなんでそういう製品を買うのかが謎。
    ただたんに自分が機械音痴だといってるだけ。

    1. いつ、自ら買ったと買いてありましたか?

  11. 「これだから日本の家電は……」と言いたいのは分かりましたが、それならそれで外国製品との比較をもっとするべきだと思います。
    欧州のUIとして自分の感性に合うものを選び、日本のUIとして自分の感性に合わないものを選べば、それなりの結論しか出ないのは当然です。

    「欧州には秩序を保った美しいUIデザインの洗濯機が存在します」

    日本には”美しいUIデザイン”の洗濯機は”全く”存在しませんでしたか?

  12. 洗濯機が作動しなかったのは蓋が開いてたせいじゃないですか?開けっ放しで回すと猫が落ちたりするんです。洗剤量は、水量を変えたら洗剤の量も変えてね、という意味であの位置にあるのでしょう。正直、なぜ分からないのか理解に苦しむレベルです(私は機械オンチです)。
    また、格安の電子レンジ、スイッチでいいじゃないかとおっしゃいますが、コストを抑えるために部品の点数を減らしたのではと推測します。
    電気ストーブは確かに使いづらそうですね。たぶんデザイン重視なのしょう。セブンイレブンのコーヒーメーカーもデザイン重視で批判されてましたよね。お洒落な欧米の家電も、たぶん使いづらいんだろうなあと、私などは思ってしまいますが…。

  13. 家族同士でああでもないこうでもないってやるのが楽しいんだよね。誰かがエイリアンに入れ替わった時でもすぐ気づけるし。

  14. 温水洗浄便座のリモコンで一番重要なボタンが「流す」だなんて、無理解もはなはだしいです。

  15. あと今のトイレは人が立ち上がってから少し待ったあと勝手に水流してくれるぞ。時代は進んでいるのだ。

  16. 洗濯機は新旧とも、洗剤量を自動判別するタイプで初見だと混乱する。実際引っかかってんのそこだけじゃん。

  17. スマホでも読みやすいようなページにして欲しかったです。

    1. オナニーデザイナーにそんなこと言っても・・・

  18. コメント欄の議論がそのまま現在のデザインに至る理由になっていて面白いしアタマが痛い。その中で戦ってきたつもり。自動が使いやすい、でも完璧な自動はないからいろんな機能を付加していく、どういう機能かわかるようにボタンに機能名つけて配置、これでOK。顧客が失敗して工夫して使いこなしていく余地を与えようとしない。失敗は人のせい。他責が受け入れられやすい現在の日本の風潮が育てたUIだと思うし、そういうUIを支持する人が現在の風潮を漫然と維持してる。

  19. […] 日本の家電の「絶望的な使いづらさ」について | coardware […]

  20. 真に便利な製品を開発提供する時代はすでに終わっていて、今はいかに衝動買いさせるかが目的の、量販店が売りつけやすい目立つデザインなどが、家電品を数量売るために必要だからだと思います この傾向は家電によらずほとんどすべての製品に関係していると思います
    つまりすでに供給過多 無駄な消費をさせないと経済が持たない時代のものづくりノウハウですね

  21. 問題意識は正しい。酷いデザインは横行している。

    ただ、トイレのコントロールパネルの使われ方への無理解が酷い。
    まず、シャワー機能は座って使い、水洗機能は立って使う。
    だから、シャワー機能は中央に大きく、水洗機能は上から押しやすいように上部にある。(TOTOの高級機だと、上面にあったかな?)

    また、シャワー機能で最重要なのは強さの調節機能で、強いのでないと刺激が足らない人も、優しくなければ耐えられない人もいる。
    そこで1つのボタンを押すたびに強くなる、なんてデザインにしたらどれだけストレスフルか……。間違って強くしてしまい、最弱にしたいのに最強を経ないと弱く出来ないなんて、こんなユーザーに絶望感を与えるデザインは無いでしょう。
    また、自宅で使うのであれば、毎回使いたい強度にするために何度もボタンを押すことを強いられるのも明らかにバッドデザイン。
    また、図らずも強すぎるパワーで出てしまった時のためにも、「止」ボタンは最重要なのは言うまでもありません。(個人的体験からもマジで最重要なんですよ)

    トイレについては、あまりに使われ方への想像力が欠けてますよ。特に繊細な尻を持つユーザーへの。

  22. 「実家の高機能洗濯機」ですが、おそらくは全自動洗濯機なのですから洗濯物を入れたらスタートボタンを押し、指示された量の洗剤を入れて後は放置で良いのではないでしょうか。こだわった洗濯がしたいならば説明書を読めばいいのですし。
    また、仮に手動で設定を変えるとスタートできなくなるというのが事実ならば「使いにくい」ことは疑うべくもないですが、全自動洗濯機でそれというのはにわかには信じがたいです。
    主張の根拠として示すのであれば、何がいけなかったのか突き止め、間違いなく家電の側の不行き届きのためにスタートできなかったのだと示してからのほうが良いのではないでしょうか?

    一方でエアコンのリモコンの使いづらさはよく分かります。私も使ったことがありますから。
    しかしこいつの使いづらさは電卓配列によるものというよりむしろ風向き・風量などが一括で設定できないことと、項目が点滅するのを確認するワンテンポのもどかしさにあるのでは。そこに触れないというのはどうしてでしょうか。

  23. 別々の問題をごっちゃにして批判してますね。

    (1)デザインの良しあし
    (2)使い勝手(UI)の良しあし

    (1)ですが、デザインを優先するとコストが上がる、というのが理由TOPです。
     ・「シンプルなレンジ」は上下で同じツマミを採用してコストカット
     ・サーキュレータは、部品点数を少なくして故障を減らす(サポート費も減る)

     また、大半のユーザは意識が高い人と違って、周りと同じような無難なデザインで
     あればデザインをほぼ気にしません。また、先鋭的なデザインは廃れるのも早い、
     ということを普通のユーザなら知ってて、また、周りから「変な人」と
     言われたくない、というのもあります(特に日本人の場合)。

    (2)はターゲットをどこに設定するかで変わってきますね。
      例えばレンジの場合、料理好きで年齢層も高くはない層向けなら
      簡単操作よりも多様な料理を短時間で作れるようボタンを
      多めにし、ショートカットできるようにする。つまり慣れれば素早くできると。
      反対に、高齢者向けなら値段やすく、ツマミ/ボタンは少なくする、となります。
      子供向けなら頑丈にする、原色優先、とか。

      また、タッチの場合は手が濡れている場合に操作できない、コストが高い、
      だけでなく、障碍者に優しくないというのがあります。

    ・(ここには挙げられていないですが)車とかの場合、法令でデザインが
     制限されている、ということもあります。

    ほかに、前作とUIが大きく変わると買い替え時に避けられるパターンがあります。
    普通の人は「前と同じの下さい」と言って買い換えますが、外見が変わると
    買われなくなります。
     #ただ、メリットがすごい上回ると、その問題も吹っ飛びますが


    そして最後に、文句を言いたくなるのもわかりますが、そうなった理由がちゃんと
    ある事が多いです。そこも調べた上で、自分の意見をまとめると、説得力があり
    起承転結のある良い記事となると思います。

    では。

  24. ソフトハウスに置き換えてもそのソフトウェアのUIがまた建て増し行き当たりばったりだからね・・
    ガラケーのメニューなんて何がどこの階層にあるのか全然分からんし

  25. 大変興味深く読ませていただきました。
    私の所属する企業のプロダクトもUIが非常に軽視される傾向があり、ユーザが直感的に使えな炒めにサポート部門への問い合わせがひっきりになしに来るような状況です。
    マニュアルをせっせと作っているものの、そのマニュアルもユーザー目線が欠けているために読みづらく「聞いた方が早い」という結論に至り、その結果サポート部門の稼働が高まっています。
    当社の場合、問題点がわかっていながら改善しない理由としては、時間がない、予算がない、UI/UXに対する知見が足りない、といったところでしょうか。
    ついに重い腰を上げて大改造の計画をぶち上げていましたがどうなることやら・・・

  26. スーパーの電子レンジは大抵高出力の業務用だしむしろ弁当温め以外何使うんだ……ってくらい使用頻度高い気がするんですが?
    まあセルフで任せると使いにくいのは同感ですが

  27. これだけUIのデザインに拘っているのに、このページのデザインは随分お粗末ですね。

    このサイトのタイトルさえ判断し兼ねるし、メニューが意味も無く(?)重複してる。
    全体的に見た目も悪い。訪問者の視点をまったく取り入れていない。

    記事の内容は同意できるけど、そのデザインについて主張する場がこれでは説得力に欠ける。
    個人でやっているなら好きなように変えられるんでしょ?

  28. 日本企業の凄惨さがありありと見えますね。新興企業が改善の方向へ導いてくれると非常に助かるのですが、ガラケーの時同様海外メーカーに日本メーカーが駆逐されてしまう可能性もありますし、正直不安しかないですね。
    ところで、アジア系の人が日本メーカーの家電を爆買いするのは何故なのだろう、という疑問が湧いてきました。

  29. 日本人デザイナーがデザインすると使いづらいものが出来るイメージ
    例セブンカフェのLRボタン問題

  30. このブログはとてつもなく読みにくいです。
    それに、指摘されたら ああだこうだ返す所も子供っぽく感じます。
    頭がカチコチな人なんだろうなと思いました。

    1. この人典型的なオナニーデザイナーですから

  31. エアコンなんか入切押して、下の冷房暖房等のボタン押すだけじゃん

    なんでわからないの?

    1. 「冷房」「除湿」「暖房」「送風」はそれぞれ背反な運転モードですが、「ハイパワー」「ねむり」は各モードに付随させられるオプションでしょう。
      その異なる立ち位置の機能を同じ形のボタンでひとまとめに配置したのはあまりいいデザインではないですね。

      けどこれの問題点はそんなもんではないんです。細かな調節をしようとすると「調節」ボタンで調節したい項目を選ぶ→「+-」ボタンで調節内容を選ぶ→「決定」ボタンで決定する、を繰り返す必要があるんです。
      風量、風向き(左右・上下)をすべて変えたかったら3回繰り返し!
      おまけに調節項目も先程の背反とオプションが混同されてたりめったに使わない項目が混じってたり、「調節」を押しすぎると戻せない(「戻る」ボタンは調節画面から抜けるボタンです。分かりづらいし、そんなボタンいらないだろ!)といらだちを与えてくれますよ。

  32. 興味深く拝読させていただきました。
    コメント内での「ソフトが”主”、ハードが”従”で調和し合って歩むもの」というお考えは特にUIにおいてはそのとおりだと思います。ユーザーをハッピーにするハードの使われ方をソフト面からデザインして、ハードのデザインをそれに対応出来る物にセットすることができたプロダクトは使って気持ちがいいものです。そして、ハードの使われ方を創造のレベルまで高めて考え出されたプロダクトが出るとユーザー体験に革命が起こります。日本製で言うと初代Walkmanがそれに当たります。あれはプロダクト全体が革新的で優れたUIだったと思います。

  33. 度々失礼します
    まずは丁寧な回答、ありがとうございます
    ダイヤル操作に関してですが、2択のダイヤルスイッチであれば親指を横にずらすだけでも操作はできますよね(とはいえこれはスイッチの硬さを考慮していないので指一本で操作できない硬さもありえますが)
    そして他の形のスイッチを目立たそうとすればコストは上がってしまうし、Fumiさんの嫌う野暮ったいデザインになってしまうのではないでしょうか?
    もちろん、すべての価格帯の物について言っているわけではありません
    しかし、この最低価格帯の電子レンジで必要な機能をシンプルに詰め込んでいるのは最も正解に近いのではないかと思います
    そもそもの問題点は、消費者が優れたデザインにお金をかけない事なんでしょうね・・・
    デザインに力を入れていたSANYOは潰れてしまいましたし・・・

    1. 記事後半にあった扇風機の事例のように、
      遠くから見ても状態がわかるように スイッチではなく、ダイヤルにした
      とは考えられないでしょうか。憶測ですが。

      UI/UXの上に、UD視点も付け加えて販売してほしいですね。
      (わけのわからないボタンに点字をつければUDではありません!!)

  34. 記事本文とコメント欄を確認させていただきました。
    私はUIの専門家ではないのですが、本記事を契機の一つとして今後わかりやすいインターフェースの製品が増えると良いなと思いました。

    それでこの記事をtwitterで紹介させていただこうと思ったのですが、tweetボタンがページ内になかなか見つからず、探したところ記事本文の最後にあったのですね。

    コメント欄を読み終えてからtweetしたいと思う層もいるかと思いますので、tweetボタンをコメント欄の下にも設けてはいかがでしょうか?

  35. 全編につっこみどころがありますがとりあえず一つだけ
    電子レンジの解凍、あたためについては出力という大きな違いがあります
    解凍したいものをあたためで行ってしまった場合、火が通ってしまったり、最悪の場合は発火することもありえます
    さらにはこのダイヤルは上下で同じものを使っています
    構造的にもスイッチにダイヤルをつければいいという単純なものです
    バタフライスイッチとなるとスイッチを保持する機構も必要となります
    ボタンを押すときも一般的には人差し指です
    上下同じダイヤルであれば指の形を変えることなくスムーズに操作できます
    さらにいえば毎日のようにモード切替をする人も多くはないでしょう
    危険が目視で回避しやすく、操作しやすく、製造コストも安い
    これは、優れたプロダクトデザインと言えるのではないでしょうか?

    1. 全編へのつっこみをお聞きしたいところですが、とりあえず電子レンジのダイヤルについて。

      記事中や前のコメントへの返事でも触れ忘れてしまったのですが、「製造コストの安さ」は間違いなくあると思います。
      というか、それがこのダイヤルを選んだ一番現実的な理由ではないでしょうか(そういった部分を後回ししてしまうところが、ハード設計者ではない自分の弱点です)。

      おっしゃるように「毎日のようにモード切替をする人も多くない」ことは同意で、さらに「低価格のローエンドモデル」も考慮すれば、「製造コストの安さ」を優先するのは作り手として当然の判断だと思います。
      もはやこの時点でこのシンプルな電子レンジにおいては話の決着がついてしまっていると思いますし、記事中ではここに触れなかったことは安易な判断だったと思います。

      それを認めた上でUI・人間工学的な話へ移ります。
      まずダイヤルを使うとき、人差し指は第二関節を90度まげた状態でダイヤルをつまみ、回すと思います。

      ここで『上下同じダイヤルであれば指の形を変えることなくスムーズに操作できます』を引き出しますが、果たしてそうでしょうか?
      もし上側がダイヤルではなく、スイッチ的なものであれば、人差し指を曲げたまま第二関節辺りでスイッチを押すだけで済みます。
      わざわざ(たかが2択のために)再びダイヤルを回す手間はありません。

      また、『危険が目視で回避しやすく』とありますが、これはおそらく僕が記事中で提案した(テキトーな)デザイン案が地味で認知しづらい印象を与えてしまっているかもしれません。
      バタフライスイッチだろうと左右スライドスイッチだろうと、どちらがONなのか認知しやすいデザインにすることは可能だと思いますので、ダイヤルばかりが『危険が目視で回避しやすい』とは思いません。

      人間工学的な面においては、ダイヤルUIは「2択」に対しては間違いなく大げさなUIで、おっしゃるような『優れたプロダクトデザイン』だとは思えません。

      たしかに記事中では後者の人間工学的な面を強調しすぎた節がありましたが、
      もしその電子レンジが高価格帯のハイエンドモデルであれば、コスト面をケチる点を擁護する必要がないので、上下ダイヤルUI搭載は間違ったデザインだという主張を強調しますね。

  36. 技術者の最終目標は、
    「入・切」「強・弱」しかないリモコンで
    使用者の状態・環境・燃費などすべてを
    AIで判断して最適なサービスを提供することなのかもしれませんね。
    でも常に「誰が責任を取るのか」という
    呪縛からは逃れられず…。
    私には、あの使いづらいボタンの集合体は
    「責任逃れの言い訳のふきだまり」に
    見えますですよ…
    もう「入・切」「強・弱」に戻っちまえ、と。

  37. 「日本の家電の絶望的な使いづらさ」より、「自国の家電を使いこなせない日本人の、絶望的な頭の悪さ」って感じの記事ですね

    1. 最後に日本の文化の話を持ってきたのでそのような印象を持たれたのかもしれませんが、僕はあくまで「作り手のセンス」に問題があるという立場を一貫して保っているつもりです。

      かの福沢諭吉は「国民」と「政府」の関係について、こう述べています。

      『こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり』

      当記事の最後の方で述べた「消費者にも問題がある」というのは、この理のことを指しているわけです。
      つまり、政治だろうが家電だろうが、それらのクオリティを決めるのは「サービス提供者」だけでなく「サービス利用者」にもあるということです。
      言い換えれば、「作り手のセンス」を生み出しているのは、「消費者のセンス」ということになるわけです。

      特に多くの大手国内メーカーの経営陣が、問題を潰したい起業家ではなく義務的なサラリーマン上がりであれば、この論理はなおさら効力を発揮します。
      当記事で主張しているのは、そういうことです。

  38. つまりお前はただの機械音痴だったってわけだ

    1. じつは当記事を書いている僕は、一般の人より「醜いUI」に対する耐性が著しく欠けているんです。
      だからこそ問題点が気になりやすいんでしょうね。

      元アップルCEOのジョン・スカリーは、アップルとマイクロソフトのそれぞれ同じ日に打ち合わせをした友人の話をこう紹介しています。

      『アップルの打ち合わせでは、会議室にデザイナーたちが入ってくると、誰もが話をやめた。あの会社ではデザイナーが一番尊敬されているからだ。次にマイクロソフトを訪ねると、みんなが話をしているときにいきなり打ち合わせが始まり、デザイナーは誰も入ってこなかった。ずらりと並んだ技術者が自分のアイデアをデザインに反映させようとしていた。それをやると、結果は必ずひどいことになる。』

      塩鮭さんが考えてらっしゃる「機械音痴でないヒト」がデザインや製品作りの責任者になったら、たぶん結果はひどいことになると思いますよ。

  39. シンプルな電子レンジのモード切り替えツマミに関しては、提案されているバタフライスイッチよりも、ダイヤル型セレクタの方が目視で分かりやすく(角度で分かるため)使いやすいと思います。

    バタフライスイッチは特にどちらがON/OFFか分かり辛いとい欠点が昔から指摘されていますね。

    1. 確かにバタフライスイッチはON/OFFの識別は分りづらいと思います。
      しかし、そのシンプルな電子レンジでは「解凍」「あたため」の2択を選ぶのみで、しかもその両者にはON/OFFのような対称性がありません。
      この場合、バタフライスイッチの「どちらがON/OFFか分かり辛いという欠点」は、さほど欠点として現れないはずです。
      なぜなら対称的な2択ではないから。

      さらに数字の並んだタイマーと違い、「解凍」「あたため」のような対称性・連続性のない選択肢の場合、「角度で分かる」というのはメリットになりません。

      この認知的な分析を踏まえた上で、スイッチの形状に話を進めます。

      バタフライスイッチの形状的メリットは、「指で押すだけ」であることです。
      対してダイヤル型セレクタや、シンプルなサーキュレータの代替案でも出した左右スライダーですと、操作にひと手間かかってしまいます。

      よって、たかが対称性のない2択の選択であれば、バタフライスイッチの方が適切なUIだと言えると思います。

  40. いろいろな家電のデザインがあまりよろしくないのは同意ですが、放置できない部分がありましたのでコメント致します。
    まず、最後の電気ストーブですが、我が家でもこれを使っております。
    これは、コイズミというメーカーが、サクラクレパスとコラボして作った、クーピーペンシル型のヒーターです。http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1411/15/news006.html
    なので、頭部がとがっており、そこを回すデザインになっているわけです。
    私はつるつるして回しにくいと思ったことはありませんし、またワット数は2段階しかないので、300wか600wかは目盛りに頼る必要もないと思うのですが、どうしてもそれが問題だというのであれば、なぜクーピーペンシル型の可愛さ重視のヒーターを購入されたんでしょう。
    まして、色は暖色系もあるのに水色を選ばれたのは親御様だと思います。
    次に、スーパーの電子レンジですが、もちろんスーパーにはこんなにたくさんの機能は必要ないのですが、基本的にスタートボタンを押すだけでスタートするものだったと「後日分かった」と書いておられます。が、上の方に「ちゃんと設定をしないとスタートできない仕様」だというところを問題視されています。矛盾しています。
    普通の人は経験則として、電子レンジはスタートボタンを押せば温めがスタートするのを知っています。(ただし、扉の開け閉めが電源の代わりなので、温めたいものを入れて扉を閉めてから時間があまりにも経ってしまうと、もう一度開け閉めしないと何を押しても動きません。)だから、いろいろなボタンがあっても、初めて使う機種でも、それほど迷わず使えるのだと思います。
    さらに、「目立つボタンは「お弁当」という特段、使用頻度の多いわけではない機能」と書いていらっしゃいますが、家庭用であればそうでしょうが、スーパーの場合は私の想像ですが、お弁当の温めに使う方が一番多いのではないでしょうか。それでスーパーはこの機種を選んだのではないかと推測します。お弁当温めを押せば、それだけで普通にスタートを押すより早く(機械が適正な時間を判定する必要がないので)温められますから。
    おっしゃりたいことは分かります。でも、イチャモンみたいな部分があると、全体の文章の価値が下がります。
    もう少しいろいろな観点から評価されることをお勧めいたします。
    失礼いたしました。

    1. コラボによるクーピーペンシルデザインだったということは存じませんでした。確かにそういうことであれば「青色」を問題点として挙げるのはおかしいです。また、購入したのは自分ではなく身内の誰かなので、その点においてはノーコメントとさせていただきます。

      さて、頭部を回す仕様そのものについては本記事でも突っついていませんが、その部分のデザインの作り込みが甘い、というのが僕の主張したかったことです。
      『私はつるつるして回しにくいと思ったことはありません』とおっしゃいますが、そのデザインの良し悪し評価において、消費者一個人がどう思うか(気づくか)は関係ありません。

      消費者自身が気づかなくとも、人間工学や認知科学などを結集して人間(使い手)が少しでも快適に使えるように製品はデザインされるべきだという考えのもと、国内家電のデザインを吟味しているわけです。

      『ワット数は2段階しかないので、300wか600wかは目盛りに頼る必要もない』ともおっしゃいますが、
      ワット数が2段階しかなくても、どちらに回せば「切」なのか、どちらに回せば「強まる」のかが認知しづらい、という問題は消えません。
      さらにダイヤルが「今どこを指しているのか」も分りづらいのです。特に、ユーザーが立った状態で操作するなら、なおさら識別しづらいです。
      クーピーペンシル型かどうかに関係なく、これは配慮のあるデザインとは言えません。

      続いて電子レンジに対する返答です。
      確かに「ちゃんと設定をしないとスタートできない仕様」と断言したのは僕の個人的な勘違いでした。しかしそのような思い込み(思考プロセス)を誘発するようなデザインに問題がある、というわけです。

      『スタートボタンを押せば温めがスタートするのを知ってい』るから、『いろいろなボタンがあっても、初めて使う機種でも、それほど迷わず使える』から、ボタンはたくさん設置されていても問題ない、というものではありません。

      消費者が常識として知っているかどうか、そういう問題ではありません。
      おっしゃっている『普通の人』とは、なにか醜いUIだろうと何だろうとサクサク使えるような超人のことを指しているのか知りませんが、「なんとなくな雑感でみんなが使えそうだから大丈夫」という姿勢で、本当に使いやすいデザインなんか生まれるわけがありません。

      人間は選択肢が多ければ多いほど、本人の自覚に関係なく心理的に疲れます。さらに家電というのはコンピュータと違って用途が限定的なので、ボタンをたくさん設置する必要はありません。
      国内家電の過剰なボタン数を含むデザインは、そのような「人間の生物的な特性」と「家電としての本質的な役割・立ち位置」をまったく無視している、ということを本記事では主張しているわけです。

      『スーパーの場合は私の想像ですが』とおっしゃっていますが、この電子レンジのデザインにおいて、スーパー云々は関係ありません。作り手のデザインセンスの話です。

      『おっしゃりたいことは分かります』
      いえ、お分かりいただけていません。
      僕が作り手の視点から述べたことを、momoさんは消費者(素人)の視点に落とし込んで解釈してしまっているだけです。

      ただし、ご意見をいただけること自体は嬉しいと思っています。
      ありがとうございました。

  41. 海外だと異なる言語の人にも使ってもらわなければならないというインセンティブが働くので、
    直感的に操作できるという要素が重視されるのかもしれませんね。
    これから高齢化が進む一方でメーカー間の性能差はなくなってきている中で「わかりやすい」というのは大きな差別化、商品力になると思うのですが、メーカーにはそんな考えはないのでしょうかね

    1. ソニーはもともと海外展開に積極的ですし、社内でもデザインへのこだわりが受け継がれているようなのでまだ「マシな部類」だと思いますが、
      その他のメーカーは悲惨ですね。
      海外展開に消極的だしユーザーに受け入れられるようなデザインを生み出せないし、それがさらに海外展開の失敗を誘発するしで、悪循環です。

      少子高齢化状態で、なおかつインターネットや航路、流通の発達で「海に隔てられている」というデメリットが薄まっている時代に、わざわざ国内市場だけに狙いを定めるメリットはあまりないと思うんですけどね。
      国内に引きこもったまま潰れていくんじゃないでしょうか。

  42. まざ、説明書を読みましょう。

    1. 東芝の洗濯機、説明書を読んでもよくわからないんですよねー
      インタフェイスも悪ければ説明書も悪い。

  43. ボタンの数=機能 という心理が消費者が側にあると営業、マーケティングが言うのでそうなってます。
    冷蔵庫は、扉の数が機能で価格に反映しやすい。

    あほみたいだと想ってますよ

    1. 率直でわかりやすいコメントありがとうございます。

      もはや救いようがないです。

  44. 3~4年に1回ぐらいのペースで、日本製品のUIが酷い、ダサイ、文化が悪い、との発言が出てくる。
    これらの意見も欧米信仰も反対するわけではない。むしろ微妙に同意している。
    しかし、最も重要なのは文化レベルや方向性、美意識やセンスではなく、そのイケてない家電を作っているのは企業であるということ。
    企業は存続の為に利益を確保する義務があり、その為には赤字覚悟のニューデザインではなく、必ず消費者のいるオーソドックスを少しずつ進化させるしかないということ。
    デザインセンスの高い人が家電メーカーの商品開発室に就職したとして、今までとは(´~`)違うたいへん使いやすいUIを発案したとして、企業は開発にGOするだろうか?
    今までのデザインに慣れ親しんだ人々が敬遠するのだよ、日本という国では。ダイヤル電話機がプッシュ電話機になったとき、最近の安価な家庭用電話機みたいなものもメーカーから発売されたが全く売れなかった。デザインが悪かったわけではない。現に今では普通に売っているのだから。問題は消費者のアタマがついてこなかったということ。過保護社会かつ他人と違うのが「恥ずかしい」と思い込んでいる民族なので、知らないものを受け入れるキャパシティが極端に低い。プッシュ電話の出始めは、プッシュボタンをダイヤルと同じ位置に配置したものや、今と同じ配列だが、わざわざダイヤルの直径ぐらいの円を縁取りしたものなど、ダイヤル電話と同じように使えますよ~、とメーカーが旧デザインになるべく近く、形状もサイズもできるだけ踏襲しなければ、消費者は買わないため、メーカーは売れるものを作るしかない。
    ここに日本人相手の家電UIのジレンマがある。デザイナーさん方の言ってることも正しいが、経営者の目線で考えると斬新なUIは企業存続にリスクを与え、被雇用者の就業や生活にリスクを与える事に直結する可能性があるため、経営陣はおいそれとOKを出せなかった。だってついてこないんだもん固定概念でガチガチのアタマでしてる日本人消費者。そのわりに海外で流行ると本当に良いものじゃなくてもチヤホヤするでしょ。日本人に物事の本質を解れという方が無理なことだと、大手メーカーは解っているため先進デザインは、海外に任せて知名度が上がってきたらやっと自社製造にこぎつける。デザインの視座ではなく経営の視座から従業員の生活にまで視野にいれると、UI 変更はハイリスクすぎるということ。

    1. 経営者の方から意見をいただけるのは、とても勉強になりますし、貴重です。

      個人事業でB to Cのモノづくりをしている身として、創造的な要素の強いモノづくりと、締め切りや毎月の支払いなどは折り合いが悪く、この辺り(安定とリスク)のバランスを取ることの難しさは実感しています。
      また、製品や仕事をゼロから生むことと、雇われ身として仕事をもらうのとでは、必要な能力がまったく異なることも理解しています。
      そして自分は、ラーメン店の経営者、ホテルの経営者、そして某有名チェーン店の社長と交友のある、高級ベンツやハマーを所有する不動産畑の経営者といった、幾人かの経営者のすぐそばで働いてきた経験があるだけでなく、歴史的・世界的に有名な経営者たちの思想や哲学も、自分なりに研究し自分のモノづくり・事業運営で実践してきているので、経営には少しばかり理解があるつもりです。
      さらに、個人事業の延長で人を雇うことをイメージするだけでも、従業員やその家族の生活も預かっていることの責任の重さは、大きなプレッシャーがあるだろうことは想像に難くありません。

      しかしそれらを差し引いても、失礼ながら零細経営者さんのおっしゃることには、ツッコミどころが多々あります。

      『知らないものを受け入れるキャパシティが極端に低い』というのは同意できる部分があり、かつて日本は独自のMD文化が栄え、白いイヤホンはタブーで、黒イヤホンが普及していました。しかし前刀禎明氏の主導のもと、ファッショナブルなイメージとともにiPod miniを成功させ、白いイヤホンが若者のステータスとなり、日本のMD市場は駆逐された事実があります。

      また、iPhoneは1台の携帯電話にすぎないのに、「通話」「音楽プレーヤー」「カメラ」「ゲーム機」「電子書籍」「地図」と何役もこなし、iPadはパソコンとしての役割も果たしつつ、「音楽機材」「キャンパス」、飲食店の「レジスター」といった役割までこなします。

      しかし、その変化の中でもソニーの経営幹部は、
      「それぞれの既存の事業が大きすぎて、どうしても潰せない」
      とお金中心の思考停止した経営姿勢を変えることができず、「ウォークマン」「サイバーショット」「ハンディカム」「プレイステーション(携帯機)」といった、個々に独立した事業部があり、大勢の開発者やデザイナー、そして多数のモデルを抱えるブランドを結局、一気に枯らせてしまったのです(そして4期連続の最終赤字)。

      零細経営者さんのおっしゃるような『大手メーカーは解っているため先進デザインは、海外に任せて知名度が上がってきたらやっと自社製造にこぎつける』という経営者の姿勢や見方が、企業を潰すと思いませんか?

      MITメディアラボ所長の伊藤穰一さんは、一人の人間の頭に「アーティスト」「科学者」「デザイナー」「エンジニア」の4つが必要と言っています(https://youtu.be/W7E9iQux0R4)。
      ジョブズやイーロン・マスク、ジェームズ・ダイソン、そしてバルミューダの寺尾さんなどは、経営者にデザインのセンスがあり、モノづくりに対する熱意があり、彼らはお金どうこうよりも、製品の向こう側にある人々の生活のことを強く考えられていることが、彼らからよく伝わってきます。

      巨匠デザイナーのディーター・ラムスも、「またスティーブ・ジョブズとジョナサンの関係が良好だったことも大きいだろう。やはりブラウンも企業のトップと私たちデザイナーに強い信頼感があった」と、企業トップのデザインに対する理解の重要性を語っています(https://casabrutus.com/design/22179/2/)。

      しかし失礼ながら、零細経営者さんはデザインに対する理解があるように見受けられません。

      例えば『デザインセンスの高い人が家電メーカーの商品開発室に就職したとして』、『デザイナーさん方の言ってることも正しいが、経営者の目線で考えると』、『デザインの視座ではなく経営の視座から』と、デザインと経営、デザイナーと経営者というふうに両者を分離し、”デザインはデザイナー任せ”という態度を取られていることが1点。

      次に『赤字覚悟のニューデザイン』、『斬新なUIは企業存続にリスクを与え』、『UI 変更はハイリスクすぎる』の部分です。
      同じニューデザイン・斬新なUIでも、人間そのものの特徴や、人々が気づいていない生活上の問題から論理的に逆算された”新しいデザイン”と、デザイナーが遊んだだけのような実用性に欠ける”新しいデザイン”は全くの別物です。
      しかし零細経営者さんの言葉からは、この違いを理解されているようには見受けられないことが、もう1点です。

      デザインというのは『赤字』『企業存続にリスク』『ハイリスク』をもたらすものではなく、むしろその逆で、企業側とユーザー側双方をwin-winの関係にすることができるものです。
      また”デザイン”と言うと、多くの人は「ルックス、カラーリング、スタイリング、装飾的なもの」と捉えがちですが、これは誤解です。

      ”デザイン”という言葉の意味は非常に広範で、デザインとは「物事の働き・流れを意図的に調節してより効果的にすること」であり、実は目に映っていることすべて(経営それ自体も)が”デザイン”に関係しています。
      (ちなみに松下幸之助さんは「経営は芸術である」という言葉を残しています。)

      『形状もサイズもできるだけ踏襲しなければ、消費者は買わないため』と何か大胆な変更をイメージされているようですが、僕が当記事で示した代替案のUIは、消費者を敬遠させるどころか、実物のUIよりすんなり馴染めるものだと思いますよ。

      そのようなお考えでは、優れたデザイナーを雇ってもそのデザイナーの能力を殺す可能性は高いでしょうし、最終的にできあがる製品の魅力もたかが知れているのではないでしょうか。少なくとも僕がデザイナーなら、零細経営者さんのもとで仕事をしたいとは思いません。
      そのような「デザインに疎く、誤解しかしていない経営者」がいる企業が、「使いづらくて醜いプロダクト」を生み出すのではないでしょうか。

      また、『欧米信仰』とおっしゃいますが、実際は経営者にセンスがあれば、国の問題はどうでもいいですし、バルミューダの寺尾さんは日本人です。しかし国内家電を作っているメーカーの多くは老舗であり、サラリーマンから成り上がったような経営者ばかりです。
      それを踏まえ、あまりに多くのメーカーの製品UIが酷く、悪い特徴がソックリなことと、日本文化にどっぷり浸かってきたであろうサラリーマン経営者をひも付けて、
      僕は日本の美意識欠如、腰の低さ・自己主張の低さ(=極端にユーザーの意見を聞き入れすぎる)といった精神文化が、醜い家電UIの量産に繋がっているのではないか、と主張しているのです。


      高城剛さんは「人間には器がありまして、ビジネスでも小説でも建築でもインテリアでもデザインでも、本人の器を超えるようなものは、なかなか生み出せません」と、彼ご本人のメルマガで言われています。

      会社を殺すのは、経営者の器の小ささ、視野の狭さ、未来を捉える推測能力の低さ、美意識やセンスの低さなどだと僕は思いますが、いかがでしょうか?
      経営者は企業のあらゆることの最終決定をくだせる立場ですよね?

      『企業は存続の為に利益を確保する義務があり』とおっしゃられていますが、そんなことは社会の一要素として経済システムに乗る以上、当然の話で、営利団体ならどの企業でも条件は同じです。
      しかしアップルやダイソン、テスラモーターズ、バルミューダにできて、国内の大手メーカーたちができないのは、それ以上の原因があるはずだとお思いになりませんか?

      その必然的に被る「お金をまわすことそれ自体」を企業の目的そのものにするのであれば、「お金をまわせれば、やっていることはなんでもいい」という論理が通用してしまいます。

      僕が観察してきた限り、そのようなお金に毒されている経営者のいる企業は、ろくな製品を作っていません。お金を回せればそれでいいので、製品作りに熱意がともなわず、細部までこだわらないのです。

      前述の不動産畑の経営者も同様でした。その経営者は「高級車は富を象徴するステータス」と未だに信じている、20世紀の時代に取り残された典型的な「ダサい金持ち」でしたね。単発的なショッピングモールや都市ビルの売買はお手の物で個人で稼いでいましたが、もう1社の社員を要する販売系の経営は何年も赤字続きでした。

      そして面白いことにその経営者も、「企業は利益を生まなあかんのや」と大仰に社員に言い放っていたものです(まるで、経営者という肩書きを持つことはとても偉いことだ、と誇らしげに吹聴するかのように)。
      そんなロマンも魅力もビジョン性もない無味乾燥とした考えしか持てない経営者に、優れた才能を持つ社員は付いていきたいと思わないでしょう。

      さらに『そのイケてない家電を作っているのは企業である』と、”企業”という一括りで作り手の問題を片付けられている点を考慮しても、零細経営者さんご自身が「固定概念でガチガチのアタマ」に陥っているように思えてなりません。

      もし本当に『経営の視座から従業員の生活』をお考えなら、『問題は消費者のアタマがついてこなかったということ』、『だってついてこないんだもん固定概念でガチガチのアタマでしてる日本人消費者』などと消費者に責任転嫁する前に、ご自身の『固定概念でガチガチのアタマ』を見直すことが先決ではないでしょうか。

      僕の視点からすれば、その程度のお考えで経営がうまくいくほうが不思議なくらいです。
      企業経営をしていない僕が経営者さんに偉そうなことを言うのは常識的に考えておかしいと思いますが、”経営者”という肩書きを持ったからといって、”本当の意味で真っ当な考え”を誰もが持つようになるとは思えません。

      海外経営者でなくとも、日本では盛田昭夫さん、井深大さん、本田宗一郎さん、松下幸之助さんなどの素晴らしい経営者たちが、著書を数多く残されています。
      僭越ですが、彼らの思想や哲学をじっくり研究なされたほうがいいのではないでしょうか?僕と違って従業員の生活がかかっているのですから、なおさらです。

      ちなみに、中小企業の経営者で借金まみれになった時に自殺する人は、「お金と精神的に距離を取れていない経営者」だと、僕は考えています。

  45. 記事を拝見させていただきました。
    とても興味深い内容で、勉強させていただきました。
    筆者様は、ソフトやタッチパネルによるスマートな解決を望んでおられると解釈したのですが、タンジブルインターフェースというものをご存じでしょうか。
    MITが研究している概念なのですが、要は「感覚的に理解するインターフェース」というものです。例えば認知症の方などは、発症してからの記憶が欠落し、発症する以前の記憶や体験から物事を理解します。ですから、タッチパネルのような「経験したことのない感覚」は理解しずらく、「体験したことのある感覚」が必要なのです。ですから安易にソフトによる改革を行ってしまうと、若者にはわかりやすいかもしれませんが、弱者に対する思いやりは薄れてしまうのではないかと思います。
    また、盲目の方は、感覚と経験からインターフェースを判断します。筆者様が例にあげておられたiphoneは、タッチパネルを採用するためにsiriを開発して、問題点を解決しました。ですが電化製品に音声入力システムを取り入れるには問題点とコスト面でのリスクが多いと思います。できるだけ多くの人が使いやすいインターフェースをデザインするために、機能を増やしすぎると、現在のリモコンのように本末転倒状態に陥ってしまいます。
    現状の日本のデザインがダサくて問題点だらけのことには激しく同意しますが、安易にソフトで解決する案は、有効なように見えて実は逃避的であると思います。
    ですから日本はもっとUIに対する理解を深めて、ハードによる解決案をしっかりと固めていく必要があるのではないでしょうか。

    1. コメントありがとうございます。
      タンジブルインターフェイスの存在は存じませんでした。しかも日本人の方が研究されているんですね。

      僕は若者の部類ですが、何もない平面をタンと叩く「タップ操作」は不自然で煩わしい操作だと感じており、スマホやタブレット、コンピュータのトラックパッドでのタップ操作には、日ごろ不満を感じています。この問題はスワイプ・ドラッグ&ドロップなど、デザインの工夫である程度は解決できますが、ハードの助けも必要です。

      コメントを拝見しますと「ユニバーサルデザイン」も考慮されているとお見受けします。
      様々な用途のためにシミュレートするコンピュータは、タッチパネル・GUIの汎用性が必要ですが、家電は用途が限られ、学習の必要もなく使い始められることが望ましい点を考えれば、おっしゃるように「ハードによる解決案」の方が妥当だと思いますし、タッチパネル・GUIは、操作が複雑化します。
      しかし音声入力インターフェイスは、機械(貧相な心)に話しかける心理的抵抗などから、万人受けするにはさらなる発展と時間を要するように感じます。

      言葉足らずだったかもしれませんが、当記事で僕が言いたかったのは、「国内メーカーが押し込める機能数はハードのみでスマートに解決できる域を超過している」ことで、仕様から見直すレベルだということです。

      また、日本がUIに対する理解を深めることも重要だと思いますが、米国・中国・インドなどと比べてもソフトウェアに対する認識が弱いと感じます。
      どんなにハード復権・ロボティクス全盛の時代になっても、ソフトウェアが持つ潜在的な可能性・柔軟性は絶対に軽んじてはいけないはずですし、良質なUI・ハードは、良質なソフトウェア感覚と想像性あってのものだと思っています。

      日本ではソフトウェアをセンサー類の制御、お粗末な組み込み系OS程度にしか活かさず、ソフトウェアエンジニアを下請けとして扱い、一括請負・納品の悪質なビジネスモデルがはびこり(きつい・厳しい・帰れないの3K言葉が生まれ)、工学部のプログラミングの授業では紙と鉛筆を使っているなど、世界に誇れるソフトウェア資産を育める土壌が、致命的なほどにありません(ソニーがiPodもiPhoneも作れないのは当然です)。

      これが日本の幾多の有名メーカーが海外企業の下請け(部品メーカー)になっている要因の一つで、今後のロボティクス・電気自動車の時代でも、日本メーカーは海外企業の裏方に回るハメになるのではないかと危惧しています。

      僭越ながらコメントされた方も「安易にソフトで解決する案」「ハードによる解決案」と、ソフトVSハードのような対立構造を些細にでも意識されているようにお見受けしますが、ソフトとハードは対立するものではなく、「5:5」の割合で調和し合って歩むべきものだと僕は考えています(ただしソフトが”主”で、ハードが”従”)。

      実は現在、コンピュータ業界に関するKindle本を執筆中でして、タンジブルインターフェイスのことも触れさせていただきたいと思います。貴重なご意見と情報提供ありがとうございました。

    2. 返信ありがとうございます。
      少し筆者様のお考えを理解しきれていなかった部分がありました。若輩が大それたことを申し上げ申し訳ありません。

      筆者様の考える「ハードとソフトが5:5で共存するカタチ」という概念は、とても美しく共感できると感じました。参考にさせていただきます。

      そして筆者様の仰る通り、確かに私には「ハードvsソフト」という考えがこびりついていたかもしれません。私はとある芸術大学でプロダクトデザインを学んでいる学生で、現在はUIをテーマに研究を行っています。ですから、ソフトに対する知識がまだまだ足りておらず、ハードに知識が寄ってしまっていたことは否めません。
      ですが、ソフトを軽視していることは全くありません。UIをテーマに選んだのもそれが理由です。まだまだ勉強中ではございますが、ソフトには無限の可能性と未来があると感じています。

      今はもう、大企業が日本の代表として世界に発信する時代でなく、新しく柔軟な概念を持った企業が10年後には台頭し、再び世界をリードすると思います。

      kindle本の執筆頑張ってください。是非拝読させていただきたいです。

    3. 芸大でプロダクトデザイン学ばれている方だったんですね。UIに詳しい技術者の方かと思うほど、テクノロジーに強そうな印象がありました。

      「大それたこと」などと言わず、ドシドシ意見を発信してください。こちらは何も否定的に捉えていないどころか、良い刺激をいただけたほどです。

      実は僕も学生時代に、工学部からプロダクトデザインの専門学校へ編入しようかと本気で考えたほどで、著名な工業デザイナーたち(ディーター・ラムス、深澤直人氏、ジョナサン・アイブ、マーク・ニューソンなど)の思想・哲学を追うのが好きなんですが、プロダクトデザインや使い心地に強い理解と興味を示しつつ、ソフトウェアの重要性も本当の意味で理解されている人物は、スティーブ・ジョブズくらいしか見当たりません。

      プログラミングやデータ構造という細々とした知識以前に、ざっくりとした「物理的実体のない神秘的な存在」という、概念としてのソフトウェアに強い理解を示すプロダクトデザイナーやUIデザイナーは頼もしいんじゃないかなと思ったりもします。
      ソフトウェア工学の専門家などは逆にUIデザインに弱かったりしますからね。

      Kindle本ではこういう概念としてのソフトウェアやGUIデザイン、人間の心理といった点に踏み込んで論じているので、UI系の学生さんにも何かのヒントになる部分があるかもしれません。

    4. ご返信と勿体ないお言葉ありがとうございます。
      拙い知識ではありますが、参考になれば幸いです。

      筆者様は工学部出身なのですね。現在私は4回生で、就活中なのですが、ある企業に「御社で私の研究しているUIデザインを活かす環境はありますか?」と尋ねたところ、「UIよりもまずはカッコいいもの作って売ることでしょ」、と言われ、こういう姿勢がソフトの軽視と衰退に繋がっていると感じました。そして同時に危惧しました。今はもう、企業のお偉方には、長い目で新しい理念を取り入れる人はいないのかと。
      私もその方々の理念や哲学は多く学びました。ラムス氏や深沢直人氏にお会いしたこともあります。彼らは本当の意味での造形の美しさとシンプルという言葉の意味を知っている方々です。ジョブズ氏は、デザイナーでないからこそ「用と美」と「不特定多数に対する愛」を理解することができた1000年に一度の才能を持っていた人物だと思います。本当に惜しい人を世界は亡くしてしまいました。

      専門的な知識が深まるほどに、他の知識を取り入れることに躊躇いや嫌悪感を抱く人も多いですが、私はIoTやAI、もちろんUIなどの最先端の理念や機能はどんどんプロダクトデザインに応用して、取り入れて変化する必要があると考えています。
      ですから貪欲に、愚直に学び蓄えたいと思います。
      筆者様のkindle本もとても楽しみです。

      もうコメントというよりは意気込みになってしまいましたね(笑)
      なかなかこうして蓄えた知識を存分にお話できる方がいないので、つい長くなってしまいました。

      一学生に丁寧にご返信いただきありがとうございました。

    5. 興味深いお話ありがとうございます。
      「UIよりもまずはカッコいいもの作って売ることでしょ」と短絡的に考える企業のトップはもしかしたら多数派なのかもしれませんが、金儲けが目当てなのか、ソフトウェア以前にモノづくりに対する姿勢がズレてますよね。

      在学中にラムス氏たちに会われているとは素晴らしい経験されてますね。羨ましい限りです。
      学生のうちから志や意気込みを持つ方は、世の中にとっては貴重だと思います。
      d.さんの今後のご活躍を、影ながら応援しています。

  46. ただ,トイレの「止」ボタンが他のボタンより優先されるのは,それはそれで理にかなっていると思います.意図に反した操作が止められないと,トイレが水浸しになってしまうと心配して身動きが取れなくなってしまいかねませんし(実際には便座から腰を浮かせれば止まるんですけれどもね).いつでも止められるというのは,やはり安心感にも繋がりますよね.

    1. 触れられている「他のボタン」が「おしり」「ビデ」のことだけであれば、「止」が強調されるのは分かりますよ。
      しかしよく観察してみてみるとです。(画像
      どのボタンとどのボタンが機能的に似ているのか、ぱっと見わかりづらいですよね。並列に羅列しすぎなんです。
      そして「止・おしり・ビデ」の3つのボタンが中央にドーンと設置されて、主役であるはずの「流すボタン」は小さく端へ追いやられているではありませんか。
      つまりこの操作パネルは、「おしり・ビデ」どころか、あらゆるボタンの中で「止」ボタンが『もっとも重要性が高い』というデザインになっているわけです。

      さらに言えば、「トイレが水浸しになってしまうと心配」は、おっしゃられている「自動停止機能」を1,2度経験すれば払拭できると思います。
      その「止」ボタンは、腰を浮かす前に止めるためだけに存在すれば十分のはずです。

      そのような取り越し苦労な「安心感を与えるため」の感覚を一つ一つのボタンに任せる設計をしていくと、このような悲惨な操作パネルが見事にできる上がるわけです。
      この設計心理はJISキーボードなどでも見られます。

      ユーザーのことを考えているようで、実際は「素人ユーザーと同じ視点で考えているだけ」なんですよ。
      プロの料理人がお客さんに「どの調味料加えたら美味しくなります?」と確認しながら全体のバランスを考えずに調理するようなものです。
      自分たちが責任を持って思考を巡らすべきことを、ユーザー(素人)に頼っているのが、大手メーカー(日本人集団)の過ちだと思いますね。

      これには美意識の低さだけでなく、日本人ならではの「腰の低さ」「自己主張の無さ」という心理面も大きく関わっているような気がしています。

  47. あああ,本当にそう思います.
    富士通製の電子カルテがまさにそんな感じで,レベルアップで機能が増えていく度に,Windowsの作法を無視したインターフェイスが思いつきで無秩序に増殖していきます.同じ機能が別の画面では違う操作になったりは日常茶飯事です.仕事で使わざるをえないのが辛い.TT

    1. 画面内のアプリケーションでも家電でも、日本人集団がUIをデザインすると悲惨なことになります。
      この事実を擁護する余地はもはやないと断言していいほどです。

  48. 長文で読みずらいコメントを書いて主張と矛盾していて申し訳ありません。。
    たった今、
    ガラケーで画像の選択削除をしようと操作したら、同じ大きさのボタンが並んでいるだけなので直観でわからず。。簡易マニュアル読んだものの書いてなくて、300ページの詳細マニュアルに書いてありました。300ページマニュアルのバカバカしさに脱力感を覚え。。目当ての説明をやっとみつけ。。いらいらしながら操作していたら、となりのボタンを間違って押していたことに気が付かず。。大切な画像を含めた全ての画像が消えました。しかも最後の操作直前には「選択削除を行いますか?はい。いいえ。」ってちゃんと聞いてきていたんです。。にも関わらず全削除に切り替わっていたようです。。そりゃこの国じゃ、ウィンドウズもiPhoneも生まれる訳ないです。。
    いらいらして、「日本家電使い難い」で検索したら、こちらの文章にたどり着きました。文化のことも論じておられて。。まったく同感です。

    1. 膨大な量のマニュアル作りにエネルギーを注ぐくらいならデザインにもっと注いでほしいですよね。
      ガラケーに限らずスマホアプリやWebサービスでも、日本企業が生み出すUIデザインのレベルは全体的に低レベルと言わざるを得ません。
      いくら使い慣れても使いづらいです。

      例えば伊勢神宮のような文化的遺産には、世界が認めるほど類い稀な「美」がありますが、現代日本人にはもはやそのような美的感覚は持ち合わせていないと思います。
      明治の西洋化と戦後の経済主義によって、古来の美の文化を喪失してしまったことが事の発端ではないかと、個人的に考えています。
      そしてそれが現代のデジタルな世界にまで影響しているんだと思っています。

      日本の街並みも電柱やらいろんな家が雑多になっていて見栄えが悪いですしね。

  49. とても共感しました!
    ありがとうございました。

    1. 共感していただけてこちらも嬉しいです。
      製品が使いやすいかの判断力を養うには、各々で海外の優れた製品に目を向け、使っていくしかないように思います。
      「日本製」に囲まれている限りは、その感覚を養うのは難しいと個人的に考えています。

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